2011年4月27日水曜日

できるから、できないから教えられること

「道徳を教える人間が必ずしも道徳的である必要はない」
大学時代、道徳教育の授業をしていた先生の言葉である。
ある意味、正しいと思う。
「数学の苦手な教師に算数を教える資格はない」と言われたら、多分小学校の先生は大抵困る。
算数も国語もできて、音楽も体育も何でもできるパーフェクト教師など、見たことがない。
自分はできないけれど教えるというのは、あり得ることである。

しかし、できた方がより教えられる。
逆上がりができない教師より、できる教師の方が、ポイントを押さえて教えられる。
ピアノや書道のような特殊な技能に至っては、教える側が完全にできることが必須である。
(書道は無理だが、書写の授業は可能である。)

一方で、できない方がいい面もある。
算数が苦手な子どもの気持ちは、苦手な教師の方がより理解できる。
道徳的すぎる人間は、不道徳な人間が理解できない可能性がある。
「ま、先生もできてないけどね」ぐらいのスタンスの方がうまくいく面もある。
何事も、臨機応変に考えることが、大切である。

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