タイトルは、以前に何度も紹介いている、野口芳宏氏の言葉である。
「善意」なのに「強制」。
一見矛盾することのように思えるが、教育はこれが中心になる。
勉強をやりたくない子どもに、面白いから頑張ってやってみなさいと言って授業する。
最初はイヤイヤだったけど、やっている内に楽しくなって、最後は好きになってしまう。
最初強制であっても、善意からくるものであり、最終的には相手のためになっている。
こういうことは、教育の中でしばしば起こる。
道徳教育の始まりは、完全にここからである。
なぜなら、「不道徳」な状態の相手に異なる価値観を与える訳だから、当然相手は嫌がる。
嫌がるからやらなくていいというスタンスだと、いつまでもやらない。
しかし、こちらは「善意」で、良い行為を「~しよう」と、「強制」するのである。
例えば「ハイ」とはっきり返事することは、「返事をきちんとしなさい」と1回、10回いや100回言っても、身に付かない。
「ありがとう」も、習慣化するまでは相当の歳月を要する。
それでも、言わせる。
必ず、言わせる。
心から言えるようになるのは、ずっと後でもいい。
習慣化することで、いずれ本当の意味が分かる時が来る。
「はじめに、言葉ありき」
キリストも釈迦も同様の言葉を残している。
言葉が、心を作っていく。
だから、まずは良い言葉を使うことを「強制」していく。
そういう考え方も、あっていいのではないかと思う。
2011年4月24日日曜日
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