「負けるが勝ち」という諺がある。
これを説明するのはなかなか難しい。
「負けた方が勝ち」ということなのだが、その説明だと堂々巡りになる。
「譲り合うが勝ち」の方が表現として的を射ているように思う。
互いに相手に譲り、合意点を見つけるのが勝ちという状況は結構多い。
(逆に、譲ってはいけない状況もある。
明かに悪くない時に謝ってしまってとりあえずその場を取り繕っておさめようとすることなどである。)
これに関係するのが、以前にも紹介した「敗北宣言」である。
https://hide-m-hyde.blogspot.com/2021/02/blog-post_27.html
実は、指導に関して担任と子どもとの勝負で言えば
「どちらも負け」か「どちらも勝ち」
のいずれかしかない。
なぜならば、
「子どもが良くなる」=「担任の仕事の成功」であり、
「子どもが悪くなる」=「担任の仕事の失敗」だからである。
「=」で結ばれている左右は入れ替えても成立する。
だから、大局的に見れば、両方勝ちか両方負けの状況しかない。
(家族の中で誰か一人が不幸になれば、みんな不幸な暗い気持ちになるというのと同じである。)
例を挙げると、子どもが友達のものを壊してしまったけど認めないとする。
担任としてもやられた子どもとしても、きちんと認めて謝ることを願う。
それをやってしまった子どもが認めて謝ることを「敗北」と捉えるならば、そこを正直に言うことはない。
関係者全員が不幸であり、勝者なき「全員敗北」である。
一方で、子どもがきちんとやってしまったことを認めて心から謝って改善行動をとるとすれば、
「やってしまった子ども」「相手の子ども」「担任」の「全員勝利」である。
これは、親と子どもはもちろん、担任と保護者との関係でも同じである。
担任と保護者の共通の願いは「子どもが学校に通って良くなること」である。
だから、これが上手くいったのが「勝ち」で失敗したのが「負け」である。
どちらがどちらへでもいいのだが
「悪いのはそっち」の応酬をし続けている以上、子どもの不幸スパイラルは止まらない。
その勝負の白黒をつけるよりも、子どもが良くなると思えることを、それぞれがすればいいのである。
相手の行動を自分の都合のいいように変えようとすれば、待っている結果は「全員敗北」の一択である。
その応酬をしている、特に子どもが知っている時点で「全員敗北」していることを関係者全員が自覚する必要がある。
(だから、連絡帳などの子どもの目に付くところには、決してトラブルについて書いてはいけない。
夫婦喧嘩の醜態を子どもの目の前で晒してトラウマを植え付けるようなものである。)
結論としては
「互いの意志を尊重する」=「全員勝利」
というのが勝利の方程式である。
これは「相手の望むままに自分が振舞う」のとは真逆で、相手が意志をもって行動するのを互いに認め合うことである。
つまり、自分の意志を大切にしながら相手の気持ちも慮る必要がある。
そして「+」の場合でも「-」の場合でも方程式はそのまま作用する。
方程式に当てはめれば「相手を自分の意志通りに動かそうとする」=「全員敗北」となる。
親や教師の命令通りに「素直」に育てた子どもがある時突然牙をむくというのはよくあるが、勝負はずっと前から決していたのである。
「ダイバーシティ」は昨今のトレンドキーワードの一つである。
互いの違いを尊重する「全員勝利」の学級を目指し、そんな社会を作る一助にしていきたい。
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