2022年1月6日木曜日

教育を不自然にしない

 前号では規格品文化からの脱却ということを書いた。

規格品とは、工場製品である。

人間をこれに当てはめることの不自然さに気付くことである。


不自然ではいけない。


教育は自然のままにしておかないことである。

ただこれは、手入れをするということであり、自然のまま野放図にしておかないということである。

手入れはしても、育てるのはあくまで自然の力である。

化学肥料や農薬などの各種薬物を入れて育てることとは全く違う。


売り物にする花たちは、飾って観賞するために作られる。

だから、売り物のバラや菊を無理に無農薬で栽培する必要はないかもしれない。


一方、人間が食べる場合はどうか。

農薬がたっぷり使われたものを食べたいか。

成長促進剤をたっぷり使われたものを食べたいか。

そんなの嫌に決まっている。

人間も生き物であり、取り入れるのも自然のものが本来だからである。


教育も、人工的な変なものに囲まれすぎていないか。

自然に学ぶ、自然から学ぶという視点を欠かさないことである。

個々人の自然な発達というのがある。

GIGAスクール構想が進んだからといって、人間の発達としての自然な学びの必要性がなくなる訳ではない。


過度な習い事や受験勉強もそうである。

本人が望まないのに、点数を競わせて無理をさせて詰め込むようなものは不自然である。

不自然な育て方には、いつか必ずボロが出る。


病気になった時も、免疫機能で直すのが自然である。

薬は毒でもあり、風邪薬を飲むというのは根本的治療になり得ない。


頭痛薬も同じである。

薬効により一時的に痛みを取り除いてくれるという点では、モルヒネ等と同じである。

それで一時的に助かるのだが、頭痛になる根本的原因をどうにかしない限り、その症状はつきまとい続ける。


教育現場においても、薬を使うことがある。

抽象的な意味合いとしてだけでなく、実際に使うこともある。

しかし、それで症状がおさまることによる弊害の大きさについては、常に疑う必要がある。


「定型発達」も「学齢別」も、本来的には不自然な考え方である。

個々人バラバラなのが、自然である。

スーパーマーケットに並んでいる野菜のような人間だけが「正しい」訳ではない。


自然が基本である。

人間は自然そのままだと自分たちが困るから、色々と工夫する。

しかしその目指すべき方向は、自然に逆らうのではなく、自然と共存する方法の模索である。

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