2022年1月2日日曜日

教育改革にはお金と「やめる」が前提

 次の記事を参考資料として、考察する。


西日本新聞

『35人以下学級 現場に悲鳴も 「きめ細かい指導」 喜ばしいが… 増えぬ教員、多忙に拍車』



この記事で取り上げられている問題自体は、教育問題の中の枝葉末節でしかない。

ずばり、お金を一切かけずに、それでも新たなことを更に加えて、何とかしようという発想。

これこそが、積み重なる学校への新施策失敗の根幹的原因であると考える。


GIGAスクール構想はこの点、かなりお金をかけた成功例と言えるのではないかと感じている。

まだまだ自治体ごとに不備は多くあるものの、一人一台PCとネット環境配備が兎にも角にも実現したことが大きな前進である。

これもそもそもは、予算がきちんと割り当てられたからである。

(ただし、これを維持発展するには、今後もこれまで以上に予算確保が必要である。)


今の教育現場は、お金をかけなければ、どんどん悪くなる一方である。

理由は明確で、現場の個々人の努力量が既に限界値に達している(というよりもとっくに限界突破している)ためである。

無理がたたって病気になる人も増え続けるが、人的リソースも底をついており、補充に入る代わりの人がいない。

「もっとがんばれ」「工夫しろ」がもはや通用しない。

「24時間働けますか」と言われたら、明確に「NO」である。


部活動問題も同じで、土日含めて定額働かせ放題問題の根幹はここである。

部活動の指導にきちんとお金がかかるなら、顧問にこんな理不尽な無茶はさせられない。

ここは、無償であっても部活動指導が生き甲斐となってやりたいと感じている一定数の人にとっても関係がある。


なぜならば、時間外給与がつく=残業が管理職の許可制になるということだからである。

つまり、学校に予算を充てる教育委員会の許可制になるということでもある。

当然、やたらにOKを出せない。


そうなると、無償でもやりたい人から反発がくる。

だから、これを逆手に利用して、「部活動は無償ということで仕方ないですよね」がまかり通ることとなる。

教育において強いのは「子どものため」に見える側だから、正当な不満をもつ側が理不尽に感じても勝ち目はない。


お金をきちんと払い続けられる十分な予算の割り当てがあれば、この問題は起きない。

やりたい人はやって、やらない人はやらないがきちんと成立する。

きちんと正当な労働対価としての手当もつくのだから、納得もいきやすい。


つまり、どれだけ大金がかかることを教員に無償でやらせているのかということである。

民間会社のスポーツクラブで考えたら、とんでもない金額になる。

当然、そんな大金は出せないのだから、十分な予算が割り当てられることは近い将来においてはまず考えられない。

そうなると、みんなが納得する在り方が実現するには、民間委託になるか、無償の完全希望制になるかである。


これは、小学校や他の学校でも同じである。

世界中へ周知されている通りの日本の教員の異常な残業量は、お金を払うべき部分を闇に葬っている結果である。


教員免許更新制の、国がお金をかけないで研修させようという発想も同じである。

本来、そのような大きな研修を導入するのであれば、各校への大幅な人員の増員が必須である。

各人が研修に出たり課題に取り組んだりしている間、現場の仕事に大きな穴を空けることになるからである。


しかし、人も予算もつかない。

現状の全く空きがない業務に更に上乗せの形になる。

結果、負担は全て限界まで疲弊している現場教員へいく。

現場から廃止賛成の声が多く上がるのも至極当然である。


基本給については、学級担任をやるのにも、これからの若者に「割に合わない」と判断されても仕方がない。

国民全体の学歴も生活水準も向上した以上、教員という職業的魅力も今まで通りのようには映らない。

(個人的には、給与の額自体には不満がない。

しかし現場でこれから教員がやることの多さや精神的な辛さとの釣り合いを考えると、これからの人が選択するかは疑問である。)


責任ある仕事が大変なのは当然である。

しかし、今後もどんどん大変さがかさ増ししていく未来が世の中に既に見えているとしたら、教員の世界は益々厳しくなる。

先のニュースのような声は、これからの若者の耳にも届く。

希望をもって教員になろうという人が増える未来が見えない。


国家が教育にお金をかけない以上、国の未来はない。

35人以下学級が実現して現場が助かる本来の理由は、単純に1校当たりの人員増につながるからである。

あくまで理由はそこであり、それ以外の理由はない。


学級の人数が減るから単純に楽になるとは限らない。

指導困難な子どもが数人いれば、たとえ1学級20人以下でも十分にきつい。

これが40人学級だろうが、逆も然りである。


何よりきついのが、担任外のいざという時に対応できる余剰人員がいなくなることである。

学校規模が大きいほど、生徒指導が困難な学校であるほど「いざ」という時が頻繁に起きるので、常に非常事態になってしまう。


よりよい環境にはまずお金が大切。

新しいことを始めるのにも、お金が必要。

当たり前すぎる話である。

何かを止めるなら、余裕ができるのだが、教育界はほとんどスクラップなしのビルド&ビルドである。


これまで「常識」にされてしまった過剰サービスをやめることが大切である。

一つ増やす時には二つ捨てるが原則。

やめられるところはスパッとやめていくという勇気が必要である。


だから、教員免許更新制が本当に廃止されるであれば、教育界には珍しい「快挙」である。

これから必要な教育改革は、何かを始めること以前に、今までやっていた常識やサービスをやめて切っていくことである。

やめる分には予算がかからない上に、現場にも余力が生じる。

いいことづくめである。


それでももしまた何か新しい施策を始めるつもりなら、先に十分な予算を確保してもらいたいと切に願う次第である。

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