2022年1月30日日曜日

学級経営の手法と本質

 学級経営の手法について。


学級経営とは、手法ではない。

在り方である。


・・・というのが本当に言いたいところだが、それでは多くの困っている先生方の役に立たない。

多分、多くの人が知りたいのは「どうするか」という具体的なやり方、手法である。

在り方が本当は大切なのだが、それを理解する前にやり方を実践していれば身に付く面もあるので、記してみる。


まずやり方を考える前提として、恐れの発想からやるものは、長期的に見て大抵失敗する。

例えば「学級が荒れないように」という発想になった時点で、既に恐れているし、失敗している。


発想の出発点をいつも「子どもが良くなる」あるいは「自分も含めた全員の幸せ」に置く。

ある特定のことだけにではなく、全ての教育行為の起点をここに置く。

子どもたちに「24時間道徳です」と教えているが、自分自身にも言っていることである。

(ちなみに、ここでいう道徳とは教科のことではなく、生きるのにより良い道の選択というような意味合いである。

一般道徳的に見て悪いことを一切してはいけないという意味ではない。)


具体例を挙げて説明する。


「あいさつをきちんとしよう」と指導したいとする。

これだけだとうまくいかない。

どんなあいさつが「きちんと」なのか、あるいは良いものなのか、イメージできないからである。

効果的指導とは、相手がイメージできるものを指す。


私は、機を見てあいさつの指導をする。

次のように板書する。



「どんなあいさつが良いあいさつでしょうか」と問いかける。

一通りきいた後、先の板書に続ける。


あかるく

いつも

さきに

つたわるように


これが「きちんとあいさつ」の具体的な内容を指す。

あいさつの本質は、互いの幸せである。

ここを外さない指導をすればいい話である。


「どんな風に?」=明るく(相手の気持ちを暗くしてしまうとあいさつの意味がない)

「いつ?」=いつも(自分の気分どうこうは関係ない)

「どちらから?タイミングは?」=自分から先に(迷っている暇はない)

「どれぐらいの声の感じや表情で?」=伝わるように(声の大きさそのものが問題なのではない)

という内容を短くエッセンス、キーワードとして伝える。


その上で「結局、お互いが気持ちよく生きるため」というあいさつの本質も確認していく。


一単元の授業などではなく、あいさつという日常の些末なことの指導である。

ただ、こういった小さなことを応用して指導していけばいいというだけの話である。


ちなみに、欧米において、あいさつは身を守るためだという話を聞いたことがある。

人種も言語も何もかも多様な人間と出会った際に「敵ではない」ことを示す必要があるのだという。

これは「恐れ」発想である。

正しいのかもしれないが、実際は多分「ハロー」と笑顔で自然と気持ち良く挨拶しているだけではないかと思う。

子どもに指導する時のあいさつの目的が「敵だと思われないため」ではやはり悲しいし、本質を外す。


学級経営の話になると、こういった指導をあらゆる場面で、かつ総合的に行うことになる。

メルマガやブログの分量では到底書ききれないほどあるので、これまでまとめた書籍の方にも是非あたってみて欲しい。

指導の本質的エッセンスが汲み取れること請け合いである。

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