面談等をすると、時々聞かれることがある。
「どんな悪いことをしたか」を一つずつ挙げていって欲しいというものである。
これは、どの年のどの学年でも、数%の確率で出る要望である。
対象は我が子の時もあるし、他者の時もある。
当然、他の子どものことの場合は教えられない。
しかしながら、その子自身についても、いきなり聞かれても答えられない。
なぜか。
忘れているからである。
とても残念な回答だと思うが、大事なことなので繰り返す。
忘れいるからである。
私に限らず、同じという人は結構多い。
中には、子どもの悪さのいちいちを克明に記憶して再現できる記憶力のある人もいないではない。
しかし、絶対数としては、恐らく少ない。
記憶が頼りにならず忘れるのを知っているので、文書として記録をしてある。
なぜ記録しているかというと、先のように他人に尋ねられるからである。
場合によっては、遡って全て報告しないといけないこともあるからである。
いじめ防止対策の一環として、全校のトラブルが一括集約されて記録されている学校は多いことと思う。
しかし、記録したら記憶から消えるというのは自然の摂理である。
いきなり聞かれても、答えられない。
じゃあ予め全員分を一覧で用意しておけばいいではないかというかもしれない。
しかし、尋ねられてそれをサッと取り出してつらつらと述べても、それはそれで嫌味な感じがしないでもない。
(待ってましたと言わんばかりに、それを待ち構えている面談というのはどうかと思う。)
要望されたら時間を置いて後日また報告という方が現実的な対応である。
一番言いたいのは、この「忘れている」ということについてである。
これは、学級担任としてやっていく上で、結構大事な能力であると勝手に思っている。
「忘れる力」と言ってもいい。
特に、嫌なことは忘れた方がいい。
子どもたちは、ミスを多くする。
天使でも悪魔でもなければ、神様仏様でもないのだから、大人同様に人間らしく嫌な言動だってたくさんする。
それをいちいち全て覚えていたら、お互い辛い。
前の日に失敗をしても、次の日の朝に会ったら「おはようございます」と気持ち新たになるからいいのである。
それをお互い昨日のミスを引きずって暗くなっているとすれば、そのデメリットは果てしなく大きい。
担任が子どもの「悪さ」を全て覚えていたら、辛くてやってられない。
それを忘れて、今目の前でがんばっている姿に集中できるから「いいね!」が言えるのである。
一種の自己催眠と言えなくもないが、これは結構大切なことである。
忘れる大切さ。
そして、忘れるために記録しておく大切さ。
結構大切なことではないかと思う。
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