2020年12月27日日曜日

睡眠最優先の仕事術

元気に働けるということについて。


元気に働き続けるには、誰しも知っている通り、運動、栄養、睡眠の3つが大切である。

それらの不足を「精神力」という根性主義で何とかしようとすることはできるが、単に体の悲鳴を無視しているだけである。

いずれその代償を払う日が必ずくる。


特に犠牲にされがちなのが「睡眠」である。

睡眠不足と酔っ払いの脳の働きは同程度かそれ以下というデータもあるぐらい、睡眠不足はだめな状態である。


それを防ぐためには、拙著『捨てる!仕事術』でも書いたが、「定刻で帰る」と予め決めておくことが大切である。

それは、健康であることに直結する。

健康であることは、職務上の責務である。

不健康は非能率と不機嫌にもつながるので、周囲の人にも何かと迷惑である。


つまりは、健康であろうと努力することは、仕事に誠実な証である。

「定刻で帰る」=「仕事に誠実」という図式である。

これをまず学校の常識にする必要がある。


さて、私も現実を見ない馬鹿ではないので、学校の(無駄な)職務の多さはよくよく知っている。

そして出る言葉は「私のこの膨大な仕事量を、時間内に終わらせるなど無理」。

しかしながら、これは、完全な「幻想」である。


なぜ「幻想」などとひどいことを言うか。

次のことを問えば、はっきり幻想とわかるからである。

「それは日本中の誰がやっても、本当に時間内に終わらせることが無理だろうか。」

ここに対し、ほぼ100%「できる人ならできる・・・」と答えるはずである。


そうなれば、「私」のやり方に原因があるといえる。

こんなに一生懸命やっている「私」に原因があるなんて言うとは、本当にひどい話である。

そんなことを言うのは、血も涙もない人間である。


しかしこれは全くの逆、誤解で、一生懸命やっていないと言っている訳ではない。

一生懸命で何とかしようとしていることに問題があると言っている訳である。

何度も書いているが「一生懸命」「真剣」などというのは多くの職業人にとって前提であり、何ら誇ることではない。


拙著にも書いたように「予め決められた枠の中で考える」という習慣をつけることが大切である。

タイムリミットがないと、どうしても仕事の濃度は薄まる。

時間があると思うと、無駄なこと、やったら多少の意味はあるが、やらなくても問題ないようなこともやるようになる。


人間の脳には、「空間補間効果」といって、自然に隙間を埋めようとする習性がある。

マスクをしていれば、勝手にマスクの下の顔を想像する。(それも都合よく。)

マスクをした姿を本人の顔だと認識する人はいない。

空間を脳内で勝手に埋めてしまうのである。


これは、仕事と時間の関係にも適用される。

定まった仕事量に対し、脳が残り時間をどう認識するかである。


学級担任を想定して、16時から日々の残りの仕事に取り掛かれるとする。

残り10という量の仕事が残っているとする。


20時までに終わらせようと思うと、単純計算して1時間あたり2.5ずつ処理である。

しかし実際は、1~2時間ぐらい「休憩」「リラックス」と称してだらだらしてお喋りをしてしまう。

結果的に、1時間あたり5ずつぐらい処理することになる。

この1時間あたり5の作業量は、18時までに終わらせようと黙々と一気にやっている人と同じである。


17時までに絶対に退勤しないとならない人はどうなるか。

1時間で10である。

これを、工夫して一気にやることになる。

あるいは、元々無理と認識し、事前に2ぐらい処理するとか、緊急でないいくつかは後日にして諦めるとか、そういう工夫をする。

結果、17時には実際に帰ることができる。


ところで、22時まで残れると思うとどうなるか。

さすがに、3時間以上だらだらすることはない。

代わりに、いくつかだらだらした上に、余計な仕事を思いつき、仕事量を11とか12に増やしてしまうのである。

あるいは、10とは別のことをしだす。


結果、「今日も一生懸命22時まで働いた」ということになる。

典型的な昭和型「24時間働けますか」のビジネスマンモデルである。

戦後間もない焼け野原状態から高度経済成長期には正解だったと思うが、もう、令和なのである。

令和から見た昭和は、平成の時からみた大正時代である。

時代遅れとかいうレベルを越えて、進化の有無の問題である。


「アフター5」の用事があると、否が応でも仕事の濃度が高まる。

(もはや世の中は働く時間すらも固定化されておらず、この言葉自体が昭和時代までの死語である。

それが普通という教育現場の働き方は、果たしてよろしいのかを検討すべき時であると思う。)

例えば5時半までに保育園へ子どもの迎えという用事がある人が、残業できる訳がない。

何がなんでも5時に退勤するしか選択肢がないから、帰れるように工夫して終わらせる。

当然である。


事前に決めることである。

セミナーでも本でも何度も紹介しているが、事前に手帳、あるいはスマホのスケジュールに予定を書き込む。

特に退勤時刻と入眠時刻を入れてしまうことである。

予めスケジュールしておくと、17時以降の余白から22時の就寝までをどうしようか、考えだす。

日々の余暇として、自分のための時間や、友人との交流などの楽しい予定を組むことができる。


さらに、一度工夫しだすと、工夫された状態が習慣化するので、通常の仕事の処理速度が加速する。

必要な仕事に全力を注ぐ分、余計な仕事に余計な時間をかけなくなる。

(学級担任でいえば、基本的に子どもの成長や幸せに還元できる仕事が、本当に必要な仕事である。

各種アンケートや調査の処理、研究会等の発表資料の完成度を上げることに一生懸命時間をかけても、無意味である。)


仕事の精選が習慣化すると、日々、自然と終わってしまう状態ができていく。

そうすると、他の「緊急ではないけれど重要な仕事」を時間内にできるようになり、より力量が高まる。

これが、管理職が部下に最もして欲しい「自己研修・研鑽」に当たる部分である。

続けていれば、もっと仕事が早くなっていき、職場に貢献できるようになる。

正のスパイラルである。


話を戻して、どうやってそれを作るかは、元を辿れば、適切な睡眠である。

まず、寝る時刻を決める。

起きる時刻も決める。

起きている時刻の内、食事や入浴など必須の生活と仕事の時間を差っ引いたものが、自分の余暇である。

それしか与えられた時間はない。

そこをどう使うかである。


休日も同様である。

休日に朝寝坊した分は、その日の入眠を遅らせるため、結果的に翌朝の負債と化す。

「休日に昼までたくさん寝たからリセット」は、幻想である。

リズムが滅茶苦茶になって、余計に身体が疲れることになる。

朝無理矢理にでもきちんと起きて、途中で昼寝を楽しんだ方が100万倍よい。

(学校でも、午後まで勉強するなら、毎日20分程度の昼寝タイムを日課の中に設置した方が本当はいいと思う。)


元気に働くには、まず睡眠。

睡眠だけは絶対に犠牲にしない。

その大事な大事な仕事が終わらなくても、世界は滅亡しないし学校も潰れない。

本人が過労で倒れて死んでしまうよりずっとずっとずっといい。

これが各種病気になりがちな現代の教師に対する、仕事術の要点であるという、確固たる持論である。

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