主体性とは何か、常々考えている。
座って黙って話を聞いている。
これは客体か。
そうとも言い切れない。
主体的な座学は存在する。
意識の問題である。
「教えられている」のか「教えてもらおう」としているのかの違いである。
「教えられている」意識は、客体である。
自分はインプットされる側であり、相手に主体がある。
一方で「教えてもらおう」という意識は、主体である。
インプットしたい内容を相手から引き出そうとしている。
それは働きかけであり、アウトプットである。
自分の内側への問がないと、教えてもらおうと思えない。
わからないから、教えてもらおうとするのである。
一方で、教えられている意識に、自らへの問はいらない。
放っておいても、お願いしなくても、求めなくても、相手が教えてくれるからである。
そこに自分は関係ない。
自分が学びに行く場を考えてもわかる。
自分の問題意識があり、それを師に教えてもらいたくて、師の話を黙ってきく。
これは、極めて主体的であると考えている。
これは座学だろうがオンラインだろうが、同じである。
授業を受ける。
ただ教えられているのか。
教わろう、教えてもらおうとしているか。
この意識の違いで、学びの質は全く異なると考える次第である。
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