学級経営の話。
学級経営をうまくやる方法ということは書籍も山ほどあるし、ずっと言われている。
もうこれまで何十年にもわたってニーズの高い話である。
ただこれまで、学級経営にも、競争原理がもちこまれていた感が否めない。
「勝てば官軍負ければ賊軍」の世界である。
これではいけない。
学年は、チームである。
もっと言うと、学校自体が一つの共通の目的をもったチームである。
自分の学級の子どもというのは、たまたま一時的に受け持たせてもらったに過ぎない。
手を離れてしまえば、新たな担任に委ねることになる。
その後まで見通した上での、一時的な関わりである。
リレーであり、つなぎの第〇走者であって、決して自分がアンカーで終わりではない。
だから、学級王国ではいけない。
王国内でしか通用しないような力は、生きる力になり得ない。
王国化を防ぐには、学年のチーム化である。
それも、学年主任は立場上の責任者としながらも、各学級担任の独立、判断が認められているチームである。
その場合、学年主任の最も大きな仕事は「何かあったら責任を一緒にとる」という姿勢である。
決して、命令系統ではない。
(ちなみに責任をとるというのは、事態への対応・処理を行うということである。
謝るとか辞めるとかそういうことではない。)
具体的には、相互に教室に入ることである。
どのような形でもいいから、全ての学級の子どもの名前を呼べる関係になることである。
そうすれば、各学級の子どもたちは、学年のみんなで担任している子どもたちになる。
一方で学級自体は、あまりに最初から子どもに任せすぎて放置すると、困ることになる。
学級の成員は子どもであり、自分の判断だけで何とかなるものではない。
裁量権をだんだんと与えながら、最初の内は引っ張っていく必要がある。
(最初から委ねていけるのは、名人芸であり、一般的に使える方法ではない。)
中教審でも、2022年を目途に、小学校高学年での教科担任制が検討されている。
全国の学級経営の問題を解決していく上でも、望ましい傾向である。
私としては、昨年度から朝の会だけでも担任が交替する制度を提唱して実践してきた。
それだけでも、かなりの効果が上がる。
ただし実施の上の最低条件として、お互いのリスペクトがあることである。
学級担任が悩んだ時は、まず学年で何とかする。
学級経営を考えていく上での原則である。
2020年6月30日火曜日
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