2020年6月2日火曜日

学校の課題をどう出すべきか考える

この時期、学校に通えないことで、子どもにも教員にも、考える時間がたっぷりある。

と言えるはずだったが、実態はそうでもない。

子どもが学校に通えないということで、塾などではいつも以上に多くの課題を用意し、力を入れている。
ここに加えて、学校の方からも、この休校期間に学力の保障をしないといけないという使命感から、たくさんの課題が出される。
よって、子どもによっては、大量の課題の板挟みである。

この問題は悩ましい。
学校が何かしてくれないと、子どもがだれてしょうがないという声が上がり、課題や対応を求められる地域がある。
一方、元々通信教育や塾通いの子どもが多い地域では、学校からあまり課題を出されると困るという声が上がる。

この見方はあくまでざっくりとしたもので、実際はこの両方の声が混在しているところに学校は対応することになる。
それで、基準をどちらに置くかというと、当然「学校以外に学習機会がない」という想定の方である。
教育の機会の平等が前提の、公教育の場なのだから、当然といえば当然である。
結果、どうしても先の板挟み状態の子どもが出ることになる。

「夏休みの宿題」であれば、こんなに無理に出す必要はない。
学校としての学習を進める時期ではないため、学校側が出さないといえばそれで終わりである。
今の状態と違って、夏休みは子どもにとって公に「休み」である。

今は違う。
休校期間ではあるが、学習自体は進めなければならない。(本当に「ねばならない」のかという議論は、一旦脇に置いておく。)
しかし、教えることはできないし、課題を出すしか進める方法がない。
ここに無理が生じている。

やることがやたらに多い群がいる一方で、課題がわからない&やる気が出ないで、やろうにもやれない群がある。
わからない場合、教えてもらえないし、やらなくても特に指導されないという状態では、どうにもしようがない。

こう考えると、子どもの現状は大まかに4つである。

A 学習が進んでいるが、やるべきことが多すぎてこなしきれない
B 学習が進んでいて、量もちょうどよい
C 学習が進んでいないが、やるべきことは多い
D 学習が進んでおらず、やることもない 

Aは忙しすぎて心身の健康面が心配で、Dは放置状態で逆に心配である。
Cはやれば進むという状態なので、本人次第である。
Bの状態は理想である。

Bを目指すには、まず各家庭の現状把握である。
次に、状況に応じて選択的にできる課題の提示。
そして学校側は、その課題を出した以上、子どもの学習に関する質問を受けられる体制が最低限必要である。
(課題をやったかどうかの確認ができないのは悩ましい問題である。)

普段一律に同じ課題を与えて進めることができるのは、学校に子どもたちが集まるからである。
現状では、一律の分量の課題は難しい。(以前にも書いたが、夏休みの課題への取り組みと同じである。)
家庭が学習の中心である以上、学習の個別化を前提に考えるべきである。

オンラインでの指導ができれば、多くの部分がクリアできる面もある。
しかし、全国の公立で現状はそうなっていない。

そうであるならば、課題は基本的に、自己採点ができるもの、自力でできるものに限定する必要がある。
また、分量も能力に応じて個別に選択できることへの配慮も必要である。

この考え方は、実は平常時の宿題と同じである。
一律の分量の宿題というのは、大抵、ある子どもにとっては無意味だし、ある子どもにとっては無理である。
同じ宿題なのに「1分で終わった」と「2時間かかった」が混在しているのが通常の学級の姿である。
これを機に、普段から無理な宿題の出し方をしているかもしれないと、思いを馳せることが大切である。

何にせよ、課題を出したからには、出した側には責任が伴う。
ルールの設定の話と同じである。
無理なく、意義のある課題を出すように心がけたい。

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