2020年6月6日土曜日

教師の課題への本音

今回、休校中にたくさんの課題が出されていることと思う。
全国の悩める子どもと保護者に向けて、課題を出した教師の側の本音(あくまで経験による私見)について述べる。

ここへの基本的な取り組み方は、夏休みの宿題と同じなのだが、一つ大きな違いがある。
それは、この課題が、新しい内容なのに対して、直接指導をほぼ全くしていないという点である。

つまりは、基本的に、多くの子どもにとって、自力ではできないものが多いという前提である。
自力でもできそうなものといえば、漢字練習のような、学習の仕方自体も既にわかっている適用課題ぐらいである。
(つまり、一年生には厳しい。学習方法含めて、全てが未習である。)
過去の既習の計算問題ならできるかもしれないが、新しいものはできないかもしれない。

いや、それすらも厳しいと実は思っている。
その理論が通るなら、日々の漢字や計算ドリルの宿題忘れもほとんどないし、漢字テストでも100点ばかりのはずである。
(ちなみに私は通常、今回のように一律にドリル宿題を課すようなことはしない。個人差が大きいと考えているためである。)

出す側も、そういうつもりで出している。
直接教えても、なかなかできないのである。
それなのに「やりましょう」と言われるだけでやれるなら、苦労ないと思っている。
むしろ、それでできるなら、自分たちの存在価値は何なのだろうということになる。

こんなことを言うのも何だが、全員がばっちりできなくても仕方ないと思っている。
こちらには、直接指導できていないという大きな負い目がある。
ただ、教師という立場で勤務しているのに何もしない訳にはいかないという状況での、苦渋の選択である。
何もしないでいれば、それはそれで不満を持たれる訳だから、立場上課題ぐらい提示しないといけないのである。
(その点、夏休みは子どもにとって正真正銘の「休み」であり、本来何も出さないでもいいので、気楽である。)

お互い、そういう苦しい中での課題なのだ、ということを前提としてもつ。

もちろん、当たり前だが、きちんとやっている方がいいのである。
それができる子どもは、間違いなく真面目だし、素晴らしいことである。
そういう子どもも、一定数いる。

しかし、みんなそうできるなんて思っている能天気な教師など、基本的に存在しない。
初任者でない限り、子どもの家庭学習の取り組みの様相に天地の差があることは、誰でも知っていることである。

家庭の協力なしに夏休みの大量の課題をこなせないことなどは、教師ならずとも誰もが知っている真実である。
みっちりつける家庭(これはこれで場合によっては不幸だが)はまだしも、そうでない家庭では、自力の課題解決は厳しい。
保護者も日々の生活がかかっており、忙しいのである。

課題を出した側も、そこは知っている。
できない子どもがきっと相当数いるだろうと。

つまりは、本音を言うと「堂々と出さない」ということをせずに、姿勢だけ見せて欲しいのである。
全くやる気がありません、という姿勢にOKを出すわけにはいかない。
しかしながら、やる気がなかった訳ではないけれど、諸事情で色々とやれてません、というのは、情状酌量の余地が相当ある。
結局、それは「わかるよ・・・」という、人情の世界である。

あまりはっきりは書けないが、そういうことである。
本音の本音をいえば、学校に来て一緒に学び合えることさえできれば、もう100点満点御の字なのである。
勉強はもちろん大切だが、人と人とが集まって一緒に何かする、ということ自体の方が、よほど大切なのである。

ちなみに私の担当した国語は、オンライン授業以外で課題として出したのはほぼ漢字のみである。
その評価も、再開後の小テストで書けるかどうかだけである。
できなかったら、その後何度もやるまとめの復習テストもあるし、その内にできるように努力すればいい話である。
家の中だけで全員できるようになるだろう、などという楽観的な考えはない。
(更に言うと、本来、新出漢字は該当学年の字が読めて、前学年までの字が書ければいいのである。
「その学年の新出漢字が書ける」を求めるのは、あくまで先取りである。)

通常、もっと難しい課題がたくさん出ただろう。
家庭の姿勢としては「指導もされてないのにうちでこんなにできない」ということは、言ってもよいと思う。
正直、色んなところで、無茶な課題も散見される。

課題を提示した以上、出すようには言うが、出している側にも負い目があるのだから、お互いあまりうるさく言わないことが吉である。

子どもたちも、自分が課題をできなかったからといって、絶望する必要はない。
そんなことに落ち込むよりも、きちんと登校して
「まだできていません。わからなかったので教えてください。」
と言えばいい話である。
本当に必須のものであれば、全体の場でもきっと復習するし、そうでないものなら、色々と配慮してくれるはずである。

課題に苦しんで学校が嫌になったら、本末転倒なのである。
心身ともに健康で登校することが、最優先事項である。

同じような場面には人生の中できっと何度も遭遇するから、これも人生勉強である。
とりあえず、一つでも多くやれそうなものをやって「姿勢」は見せるようにして、あとは元気に登校して欲しいと願う次第である。

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