「喉元過ぎれば熱さを忘れる」という言葉がある。
どんなに苦しんでいても、終わってしまえば忘れてしまう。
いい意味でも使えるが、反省がない、同じ過ちを繰り返すという悪い意味もある。
県をまたいでの移動制限が解除され、人が一気に動き出したという。
これによる第二波への警告は、周知の通りである。
それら世間一般のことというより、この諺を学校教育の視点から考える。
今回の一件で、散々苦労した訳である。
何に。
ウィルスそのものへの対策というより、学校教育ができないことに対してである。
具体的には、ICT環境の導入の遅れに対してである。
日本はICTにおいての諸外国の水準に対し、大きく後れをとっている。
その理由は「保守的」だからであるとしか考えられない。
国が経済的に本当に苦しいならわかる。
しかし、先進国やアジア諸国と比べても、ICT導入ができない状態とは到底いえない。
むしろ、著しく低い日本のGDPを上昇させるには、ICTの活用は確実に肝である。
英語教育の後れもそうなのだが、これは少し事情が違う。
日本は特殊な島国構造であり、国民の大多数が日常的には英語を話さないで問題のない環境に暮らしている。
一方で、アジアの諸外国は、庶民が商売等でも英語を日常的に使う環境下にある。
これは、植民地化に関わる歴史的な問題も絡んで、必然的にそうなっていった。
日本の地理的な環境要因は、英語教育の後れと不利に関連している。
(だから今のままでよいという訳ではない。英語教育の在り方は、今後も検討の余地が相当にある。)
思えば、熱中症などもそうである。
昨年度に散々苦労したのだから、今年度はそれ以上の対策と準備とが必要である。
今後も異常気象が続くことには変わりがないからである。
喉元過ぎれば熱さを忘れる、ではなく、一時的にでも落ち着いた今こそ準備の時である。
震災などへの備えと同じで、いつまた来るかわからない事態に、予め準備しておく。
ICT環境が普及していれば、今回のような未曾有の事態にも対処する術があるとわかったのである。
次に備えて、声を上げていく時である。
英語教育でもICT教育でも何でもそうだが、吝嗇を示すのはいつも大人の方である。
子どもは新しいものを喜んで受け容れ、すぐに吸収してしまう。
何はともあれ、今回の痛みを忘れてしまうことなく、次につなげていきたい。
2020年6月23日火曜日
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