「学級経営のコツは何ですか」というようなざっくりした質問を受けることがある。
これは難しいのだが、難しいと答えてしまうと、普通である。
こういう場合、敢えて言い切る。
「本音・実感・我がハート」とは師の野口芳宏先生の言葉である。
これに従って答えてみる。
この言葉自体が学級経営のコツでもある。
本音でないこと、実感できないこと、我がハートが震えないことは、しないことである。
具体的には「誰にも媚びないこと」である。
それは、本当には思ってもいないことを口にしないこと、やらないことである。
例えば子どもをこちらの都合いいように操作しようとしてほめるなんて、最悪である。
それよりも、相手を心からすごいと思える自分自身の感性を涵養していくこと。
それは他を変えようとする研究の分野ではなく、自己を変えようとする修養の分野である。
私が学級経営のコツは?と聞かれたら。
人に媚びない。
ここに尽きる。
媚びないということは、一見尊大のように聞こえるが、逆に謙虚にもなる。
媚びないということは、虚栄がない、つまり素直ということであり、あらゆる相手に教えていただくという姿勢になる。
そうなると、自分よりも経験や年齢、立場が上か下かというような小さなことがどうでもよくなる。
何よりも、子どもと共に学ぶ姿勢をもつことである。
当たり前だが、たとえ相手が小学生であろうと幼稚園児であろうと、自分の方が全てを上回って知っている訳ではない。
子どもの方が分っていることだってたくさんある。
特に低学年ぐらいの小さな子どもは、大人と視点が全く違うので、発見の連続である。
そこから学ぶ姿勢をもつことである。
人に媚びない。
それは、ご機嫌とりをしないということである。
特に学級開きの時期に間違いがちだが、無理に人気をとろうという方に力を注いでしまう。
無理にオモシロ先生のキャラを演じたり、なんでも許してくれる「優しく理解のある先生」を演じてしまう。
それを年間で終始演じきれるならそれでもいいのである。
それで子どもを成長させらるなら、それでもいいのである。
しかし、自分のキャラクターを無視した、人に媚びた学級経営は、確実に失敗する。
もちろん、教師のキャラクターは、明るい方がいい。
「笑顔が仕事の一部」とかつて書いたぐらいだから、その方がいい。
しかし極論、暗い人は暗くてもいいのである。
そのキャラクターで、きちんと自分を出して、理解してもらえるならいいのである。
相手に媚びて無理に明るいキャラを演じるより、その方がずっといい。
怖い人は怖いのがキャラクターである。
穏やかな人は穏やかなのがキャラクターである。
おちゃらけている人は、おちゃらけているのがキャラクターである。
周りに媚びて、自分と違うキャラクターを演じようとするのが最もいけない。
自分が叱れないキャラクターなら、叱らないで伝える方法を考えればいい。
笑わせられないなら、笑わせる代わりにできることをすればいい。
とにかく、人に媚びないこと。
自分をしっかり出していくこと。
嬉しい時は嬉しいことを伝え、嫌なことは嫌と言う。
これに尽きる。
これが難しいのであるが、何でも難しいと言い始めたら何もできない。
自分のいちいちの言動に「これは誰かに媚びていないか」と問いかけ見直すだけで変わってくる。
媚びないと何がいいか。
自分が好きになれる。
自分が自分を一番大切にしていると実感できる。
そして人からは一時的に嫌われるかもしれない。
でも、長い目で見たら、確実にその方が好かれるのである。
「学級経営のコツを一言でお願いします。」
自分がきかれたら、どう答えるか考えるのもまた一興である。
2020年6月25日木曜日
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