2020年6月8日月曜日

いらいらも集団感染症

メルマガ上では母の日に書いた記事で、母親に関連する話題。

母親というのは、本来家庭の太陽的な存在である。
しかし、その太陽たる母親が家庭内で苦しんでいることが結構多い。

原因を辿ると、「いらいら」である。
家族の誰かがいらいらしていると、それが集団感染的に全員にうつる。

集団感染いらいらストレスの被害者になるのは、その集団内の最も立場の弱いものである。
母親は弱くない場合でも、家の中心存在である母親的な立場にいることが多く、特にそのストレスを受けやすい。

いらいらという感情は、怒り未満のものである。
先日桜島が噴火して大きな被害が出たばかりだが、まさにマグマがたまって心が「噴火しそう」な状態である。

ちなみに、心理学では「感情」と「情動」を分けてみる考え方がある。
いらいらのように感ずるものは「感情」にあたるが、比較的短期に起こりかつ身体を含め外的に表れる怒りのようなものを情動という。
(これらの見方にも論争があり、一義的ではない。)

いらいらというものは、軽視していはいけない。
「不機嫌は最大の罪」ともいわれるほど、いらいらというものはあらゆる悪の根源となる。
いらいらは、集団感染するからである。

田舎の方と都会を比べると、一目瞭然である。
人口が密集している箇所では、どうしても人がいらいらしている。
ちょっと何かあればものすごい勢いでクラクションを鳴らされる。
人と人の距離が近すぎてぶつかりやすいので、睨まれる機会も出る。
やられた人が、またいらいらするので、全然知らない他の人にそれをぶつける。

当たり前だが、都会に住んでいる人の性格が悪いのではなく、物理的環境がそうさせている面が大きい。
(田舎では車と車が密集して渋滞する状況にならないし、お祭りでもない限り、一か所に人間がぎゅうぎゅうになることもない。)
今は逆に、外は人が少ないため、いらいらの発生は少ないと思われる。

一方、家庭という環境は、物理的にも心理的にも距離が非常に近くなる。
そして今は、普段なら適度な距離を保てた家族が、常に集まった状態になる。
よって、愛情が深まる面がある一方で、いらいらも集団感染しやすくなる。

職場と同じで、人間関係が明暗を分ける。
関係が良いと、一緒にいて親睦が深まる。
関係が悪いと、一緒にいるだけでいらいらする。

そしてご機嫌も不機嫌も、どちらも集団感染する。

昔から、母親は家庭の太陽という。
太陽のご機嫌を損ねるようなことをすると、天岩戸ではないが、色々困ることになる。
一方で、太陽がご機嫌だと、周りも明るくなる。
(ちなみに、この太陽役は、実は必ずしも母親でなくともよい。家族の中で、その役割を担う人である。)

家庭内が明るくなるためには、当たり前の言葉が大切である。
おはよう、おやすみなさい、いただきます、ごちそうさま、ありがとう、ごめんさない。
いわゆる当たり前の挨拶と言われているものを軽視しないことである。

母たる存在の人には感謝を述べつつ、お互いを労って過大な負担をかけないようにしたい。

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