師の野口芳宏先生からの学び。
現在、教育にとっても未曾有の危機ということで、私から次の質問をした。
「この状況で、先生なら何をどうされますか。」
曰く「教師は、慌てないこと」。
確かに危機的状況である。
しかしながら、敗戦の時は、もっともっとすごかった。
生活は今とは比べものにならないほどの貧困・困窮を極めた。
教育も、昨日まで白と教えられていたものが急に黒になるというような、混乱の極みである。
それで、その時代の子どもたちの学力は落ちたか。
どうしようもない人間が育ったのか。
決してそんなことはなかった。
人間は逞しい。
半年や一年間ではだめにはならない。
何があっても、すくい上げていく力がある。
そこで大切なのが、リーダーが慌てないことである。
国のリーダー、県のリーダー、地方のリーダー、会社の社長、色々いるが、リーダーが乱れないことである。
孔子の教えに
「君子もとより窮(きゅう)す 小人窮すればここに濫(みだ)る」
がある。
君子であっても、困ることはある。
小人は困ると、乱れる。
君子も、困っていることには変わらないのだが、乱れない。
教師は、さすがに君子とはいえないまでも、学級運営のリーダーである。
乱れず、慌てないことである。
逆に、次のように考える。
今まで、余計な事が多すぎたのではないか。
本当の意味で、子どもたちに学力がついていたのか。
ピンチの状況を改めて見直し、改革するチャンスである。
視点の広さ、深さ、大きさに圧倒的な差を感じた。
教師が、慌てないこと。
いつであっても大切なことである。
2020年6月10日水曜日
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