2020年1月24日金曜日

「謝る」はスタートに過ぎない

最近の気付き。

誤りに対して謝るということは必須である。
ここで「誤魔化す」ということをするからこじれる。
「誤りを魔と化す」からである。(もともとが当て字なので、私流の解釈。)
あるいは、「謝ったんだからもうOKでしょ」という態度がさらにこじれを生む。

ちなみに、謝ってはいけないという場面もある。
悪くもないのに「とにかく謝って収めよう」という場合である。
相手の怒りをしずめることだけを目的としている。
これは、一時的に回避できても、後々余計にこじれる。

人生の中で、こういったことを強要されて、断固拒否したことがある人もいるだろう。
悔し涙の中で謝ったり許した人もいるだろう。
「明らかに悪くないのに謝れるか」ということである。
体面や保身だけを求める人は、残念ながら世の中に結構存在する。

さて、そうはいっても、基本的に人間は間違える。
だから、そこに関しては謝るのが当然である。

問題は「謝ったんだからもう済んだ」という考え方である。
全く違う。

以下は、師の野口芳宏先生の教えをもとに、自分なりにアレンジしたものである。
(参考:教師の寺子屋「叱られる作法」)
http://hide-m-hyde.blogspot.com/2011/06/blog-post_21.html

謝罪というのは、あくまで「償い」という長い過程の「入口」なのである。
確かに自分に非があった。
そして相手に何かしらの損害を与えた。
だから、まずはその非を認め、相手に申し訳なかったと伝える最初の段階が「謝罪」である。

謝罪の後は、補償を行う。
損失を補うことである。
つまり、可能な限り、与えた損失を相手や社会に返す行為である。
(社会的には、ここを多くは「賠償金」という有形のものが担保する。)

さらに「改善」というステップが入る。
同じ過ちを繰り返さないための改善防止策をうつ。
謝った後の二回目の過ちは、一回目とは全くの別物で、「悪質」である。
だから、二度と起こさないよう努力をしている姿勢が問われる。

そうまでして自分の状況が改善されると、最後は「感謝」というステップにいく。
その過ちがあったから改善され、より良い自分になれたと心の底から感じる段階である。
これは、場合によっては相手に伝えずともよい。
感じることである。
同じ「謝」の文字であっても、「謝罪」が「感謝」になって初めて完結する。

子どもにも、こういうことは教える。
謝るのは第一段階。
大切なのは、それを繰り返さないことである。
そして過ちを起こしてしまった分を、少しでも返そうと努力することである。
そうすることで、間違いを成長に生かせるということが、実感できるようになる。

「謝ったんだから許すべき」というような甘い考えをもたせない。
(謝られた側は、気が収まるなら基本的にこれでよい。)
謝るのは、たくさんある中のステップ1に過ぎない。
まず知識として身に付け、実生活で実感として学ぶことで、本物になっていくのではないかと思っている。

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