研究授業での学び。
知的好奇心と知識について。
授業において「何で!?」「不思議!」と子どもが思う場面を作りたい。
こうなったら、もう勝手に子どもたちの探求活動が始まる。
放っておいてもどんどん動く。
だから、教師はこの姿を引き出そうとあれこれ模索する。
たくさんのものも用意する。
しかし、子どもの反応はイマイチ。
なぜなのか。
疑うべき原因の一つが、「知識不足」である。
知識がないと、疑問は生まれようがない。
極端な話、赤ん坊は疑問をもたない。
日本語で話しかけられようがサンスクリット語で話しかけられようが、オールオッケーである。
目の前でスプーン曲げを披露しても、特段不思議にも思わない。(と思う。)
「スプーンは固い金属製だから容易には曲がらない」という知識、前提がないためである。
せっかくのいいネタを用意しても、相手に知識がないと「猫に小判」となりかねない。
例えば料理をより美味しく楽しむためには、そのストーリーを知っていることが大切である。
知識がないまま授業をしても、子どもは不思議の発見も疑問も何も抱けない。
とっておきの面白い難問も単に「意味わからない」だけである。
知識をつける。
「学びに向かう人間性」を重視する時であっても、ないがしろにしてはいけない部分である。
2020年1月22日水曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿