リーダーシップについて。
最近読んだ以下の本からの学びと気付き。
『insight(インサイト)
いまの自分を正しく知り、仕事と人生を劇的に変える自己認識の力』
ターシャ・ユーリック 著 中竹竜二 監訳 樋口武志 訳 英治出版
http://www.eijipress.co.jp/book/book.php?epcode=2270
自己認識について書かれた本である。
大雑把に言うと、自己認識には二つの側面があり、両輪である。
1つ目が、自分自身を自分が正しく把握するという、内的な自己認識。
2つ目が、自分自身がどう見られているか正しく把握するという、外的な自己認識。
2つ目が特に欠けやすい。
厄介なことに、自信があるほどに、ここに問題が生じるという。
要は、自信のあるリーダーに対しては、周りはものが言えないのである。
ぐいぐい引っ張るタイプのリーダーシップは、短期的には結果を出しやすい。
しかし長期的に見ると、リーダーにものを言わない(言えない)組織に育ってきて、個が没落していく。
(学校でいうと「お利巧なクラス」がその典型である。)
部下がものをいえるリーダーとはどういう人か。
それは、開いているリーダーである。
部下に誤りを指摘されたら認め、感謝して正していけるリーダーである。
これは、言うほどに簡単なことではない。
自信をもって一生懸命にやっていることに対し、的確に誤りを指摘されるほど、恥ずかしさや怒りが湧いてくる。
ここを乗り越えられるかが瀬戸際だという。
一方で、自信がないタイプのリーダーやゆるいタイプのリーダーには、違う問題が起きる。
進むべき方向や、手本を示せない。
部下はこれによる不安が生じ、あちらこちらへ個々が勝手に動き、混乱状態になる。
要は、明確な方針を示しながらも周りの声に耳を傾け、自ら改善していく姿勢がリーダーには求められる。
学校では、学級担任や学年主任等の小規模な集団のリーダーにも、これは当てはまる。
例えば「学級崩壊」にもタイプがある。
子どもが騒いで言うことをきかないというのは、あからさまに反乱を起こしているという点で失敗である。
一方で、全員がロボットのように従順に言うことだけをきいている状態も、教育としては機能不全を起こしている。
どちらも子どもの適切な成長を妨げている。
なぜこうなるかというと、先のリーダーシップの問題である。
どっちに行っていいかわからないから、やりたい放題に暴れる状態になる。
暴力や大きな声が支配する集団である。
何も言えないから、ロボット状態になる。
ロボットである以上、不規則な動きや、はみ出ることは許されない。
上からの懲罰と無言の圧力が全てを支配する集団である。
学級担任が進むべき方向を示し、適切にすべての子どもの声に耳を傾けるようにする。
理想的には、そうして子どもが安心すれば、後は自律して動き始めるはずである。
自律して動き始めると、失敗もたくさんするが、集団が安心な状態ならば、何度でも立ち直れる。
この自律行動及び失敗からのレジリエンス能力は、ロボットと人間との決定的な違いである。
では、学級が崩れたら担任が全て悪いのかというと、そうではない。
その学年を支えるチームリーダーの問題でもある。
つまりは、学年主任、あるいは管理職の問題でもある。
(「も」がポイントである。学級担任にも無論大いに責任があるし、子ども自身にも要因はある。)
人には強みと弱みがあるのだから、そこをなるべく補完的に用いるのがリーダーの仕事である。
凸凹を上手に組み合わせる。
凹と凹に見えても、それは平面的に見ているだけで、違く角度から立体的に見たら、違う形が見える可能性がある。
それが見えるようにするには、やはりオープンにすることである。
誰から。
リーダーの立場からである。
そうでないと、下の立場は危なくて本心を見せられない。
自分の率いる集団を振り返ってみる。
チームが方針に向かって進んでいるか。
逆に、チームが盲目的に従っていないか。
個々の個性が生きているか。
自分自身は、オープンになっているか。
リーダー自身は、必ずしもスタープレイヤーであったり、スーパーマンであったりする必要はないという。
自信をもっている姿と、弱みを見せられる姿の両面が必要である。
2020年1月16日木曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿