前々号の「正義とは仮面」に関連する話。
メディアの子どもへの影響、社会への影響について。
「仮面ライダー」はじめ、正義のヒーローものが、子どもたちに勧善懲悪をすすめる結果となった、という話が書いてある。
「正義のヒーロー」を書いてきた脚本家が言うのだから、見当違いな話、ということはないはずである。
メディアの子どもに与える影響は、絶大である。
テレビが出始めの頃は、見られる番組も少なく、その中に野球中継があり、『巨人の星』があった。
だから、少年たちの多くは巨人に憧れた。
みんなで集まってこぞって野球をやり、将来の夢はエンジニアかプロ野球選手。
メディアによって価値観が統一されていった初期の時期だったと推測される。
今はどうか。
インターネットによって、触れられる世界が無限に広がり、価値観が多様化している。
広すぎるが故に、様々な価値観の影響を受ける。
しかしながら、テレビの影響は未だに大きい。
アニメの類は、特にそうである。
多くの漫画・アニメ・映画やドラマは、「勧善懲悪」の形をとる。
それも、悪役が、わかりやすすぎる程に、すごく悪い。
人々を苦しめることを目的としていたり、私利私欲にすごく目がくらんでいたり、世界征服を企んでいたりする。
「悪対正義」の構造がわかりやく、理解しやすい。
ヒーロー側は、苦難を乗り越えて、強くなっていき、最後に悪を倒す。
『仮面ライダー』の構造である。
繰り返すが、この「正義」は、「仮面」である。
強い者(この場合は、テレビ番組の製作者)によって規定されている。
それが本当に正しいこと、真実であるかは関係がない。
ある立場から見た「正義」であるが、それは強い者の立場である。
(弱い正義というのは、存在しない。)
この構造は、ヒーローものに限らない。
王子様やお姫様が出てくるような物語や昔話の類も、大体同じ構造である。
その場合、性格の悪いいじわるな人や魔女が悪役である。
ついでに余計なことに、最後に王族になったりお金持ちになったりする。
「正義」に「勝利」と「地位と名誉」が紐づけされる構造である。
これでいいのか。
現実の世界では、努力をしても勝てないことも多いし、大金持ちにもならないし、まして王族にはならない。
多くの人々の実際は、相当な努力をし、報われない中にも慎まやかな喜びを得る。
それは他人からの「ありがとう」の一言かもしれないし、やり切った充実感かもしれない。
そうそう、派手なことは起きないものである。
メディアが、こういった現実の世界とはかけ離れた「成功」の形を提示していないか。
子どもの価値観が、正義が、変な形で規定されていないか。
サクセスストーリーというのは、子どもにもわかりやすいがゆえに、そこが怖いところである。
現実は、お互いの正義や利害関係が複雑に絡み合う。
そんな単純構造をしていないのである。
学校では「正義は悪をやっつけていい」というのは「先生が言ってた」という形をとる。
あるいは「誰誰はきまりを破っていたから悪い奴。だから注意した、叩いた。」という形をとる。
もう少し幼稚な時期だと「いけないんだ~」の言葉となる。
誰が「いけない」と言っているのか。
学校のきまり、つまり、低学年の子どもにとって絶対的存在である「先生」であるという主張である。
だから、子ども同士の諍いにおける最強の脅し文句は「先生に言う」である。
全部、他人の価値観である。
本来「私はそれをいけないと思う」と言うべきところを、他人のせいにしている。
強い他者が保証した正義を振りかざしている。
そうなるように、小さい頃から、社会に仕込まれている。
何しろ「正義は勝つ」のだから、仕方ない。
悪い奴には、正義の鉄槌である。
本当に、相手が絶対に悪いのか。
自分にも悪いところや、落ち度があるのではないか。
相手にもそうせざるを得ない立場にある何か事情があるのではないか。
そういったことに思いを馳せることが、本来大切なはずである。
メディアの子どもに与える影響というのは、絶大である。
SNS全盛の今、みんなで正義の声を挙げて、個人を叩くことが多すぎる。
それは、正義の皮を被った集団リンチである。
子どもたちに、いじめを推奨している行為である。
マスメディアの存在の影響は、教育現場にとっても、常に考慮しておくべきことである。
2019年11月14日木曜日
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