2019年11月12日火曜日

正義とは仮面だ

タイトルは、次の本からの引用。

『ことばの贈りもの』 松岡享子 著 東京子ども図書館
https://www.amazon.co.jp/dp/4885690234

「正義とは仮面だ」とは、ウルトラセブンや仮面ライダーの脚本家である市川森一さんの言葉である。
我々、ウルトラマン、仮面ライダー世代の人間からすると、衝撃的な言葉である。

つまり、誰でも正義の仮面を被れるということ。
この本の中では、地下鉄サリン事件におけるオウム真理教信者の「正義」についての記述がある。
正義の仮面さえ被れば、どんな卑劣なことも「正しいこと」としてしまえる恐ろしさである。
原爆問題と同じ構造である。

ここからは私見。

「正義」についての疑問は、以前から何度も書いてきた。
例えば、次の記事である。
『日本語の「正義」にあって英語の「justice」にはない、大切なもの』
https://www.mag2.com/p/news/260399

「正義」というのは、正しさである。
正しさというのは、常に相対的である。
物差しがあるからこそ、正しい(プラス)と誤り(マイナス)が規定される。
誰かに与えられたものといえる。

「正義の仮面」を与えられたと勘違いする人間は、危険である。
正義を他者に規定されるため、思考が停止する。
「正しいと言われたから、やってもいい」ということになる。
(「ウルトラマン」で子どもの頃からずっと疑問だったのが、破壊されるビルの中の人々のことである。
ハリウッド映画での様々なヒーローの、街中の逃走・暴走・追跡シーンも同様である。
正義のためだからやっていいという類のものではない。)

これは子どもの「先生が言ってた」と同じ幼稚な思考パターンである。
子どもは、子ども同士を自分の考えに従わせる場合、子どもにとって強い「正義」である先生や親を利用する。
そこに正義が規定されているのだから、「錦の御旗」「絶対」として堂々と正義の剣を振りかざせる。

これは、大人社会でも同様である。
相手より上の立場の意見である「正義」をちらつかせれば、弱い者は言うことをきく。
自分の存在の大きさは関係なくなる。
「あの偉い人が言ってた」となれば、それは急に正義になる。

教育現場では黒いカラスが白くなることなど、ざらにある。
(ゆとり教育などは、その最もわかりやすい例である。)

ネット上で、「叩く」行為も全てこれである。
この場合の正義は「世論」という架空にして確かに「ある」存在から与えられている。
(それが故に完全に責任者不在なのが厄介である。)

思考停止してはいけない。
絶対的な正しさは存在しない以上、常に考える必要がある。(この一文自体も矛盾を含むのが、悩ましいところである。)
正しさは、常に自分の心で追い求める。

正義とは、仮面。
例えば学校の正義とは、文科省から与えられた仮面である。
指導する際にも、このことは常に忘れずにいたい。

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