2019年7月28日日曜日

感情労働者としての教師

大学の授業で「感情労働」ということについて学んだ。
そこからの気付きのシェア。

教師や保育者は感情労働者だという。

感情労働とは、社会学者A・R・ホックシールドによる言葉である。
 相手(=顧客)の精神を特別な状態に導くために、
自分の感情を誘発、または抑圧することを職務にする、
精神と感情の協調が必要な労働のことをいう。
(参考 「カオナビ 人事用語集」
https://www.kaonavi.jp/dictionary/emotional-labor/

要するに、自分の本当の感情を脇に置き、場に必要な感情を表現し演じることが強く望まれる労働である。
サービス業やセールスなどもこれに含まれる。
電話の苦情受付センターなどその最たるもので、顧客の感情に寄り添い、心から謝罪していることを表現することが望まれる。

実は苦情受付センターの人は何も悪いことをしていないのだが、心を擦り減らして謝罪し続ける。
あるいは、教育委員会等で苦情電話を取った方々も同じであるかもしれない。
顧客の感情を損なうと、ビジネス自体が成り立たない、あるいはこじれて余計に大変になるという類の労働である。

この感情労働には、規則がある。
表層演技として、自分の感情を隠して望ましい感情を演じること。
深層演技として、働き手が感情を制御・管理すること。

この表層と深層にギャップが生まれるほど、苦しみが深くなる。
例えば深層演技としてもし「お客様は神様です」を信じ込めていれば、クレーム対応としての表層演技にもそれほど苦はない。
しかし、逆に「何で私が」「悪いのはそっちでしょ」という思いが強いほど、表層演技が辛くなる。

苦情受付センターなどは、逆にビジネスと割り切って演じること自体を楽しまないとやっていけないのかもしれない。
なぜならその商品開発に携わっている訳でもなく、本来どう考えても自分には非がないからである。

一方、教師や保育者の場合、ここのダメージは回避できない。
その子どもの教育に携わっている以上、どう考えても自分にも多少の落ち度があるためである。
だからこそ、深層演技の方の自己教育で、どのような「観」を育てているかが重要になる。

教師は子ども(あるいは保護者)の前に立つ際、表層演技をし続けることが求められる。
プライベートで嫌なことがあろうが、それは子どもたちにとっては関係ない。
特に小さい子ども相手であるほど、笑顔が求められる。

辛い時に笑顔でい続けるのは、相当に辛い作業である。
しかも小学校の場合、常に子どもたちと一緒にいるので、それを数時間キープである。
(それでも、24時間べったりの、乳幼児期の子育て中の母親のストレスに比べたら、ましではある。)

表層演技の辛さを軽減するには、深層演技の方の自己教育である。
「この子はダメだ」と思っていると、真面目に対応するのが嫌になる。
一方で「この子は苦しんでいるだけだ」と思うと、対応する気持ちも優しくなれる。
どういう「観」を持っているかで、表層演技の方も変わってくる。

そして、どんなに演技をしても、子どもにはすぐ伝わる。
子どもは、赤ん坊の頃から、周囲の感情とリンクする能力をもつという。
つまり、表層演技をどんなにがんばっても、感情が伝わってしまうのである。
深層演技の自己教育の方が、決定的に重要である。

私のイメージでは、一日に使える感情は、一定量である。
職場で普通に過ごしているだけでも、じりじりと消費する。
すべて職場というのはプライベートの場と違い、表層演技が必要だからである。

ただ、楽しい気分で過ごしていれば、少しずつ回復する。
一方、嫌だと思いながら過ごしていれば、少しずつ消費する。

最も燃費の悪い行為は「怒る」であり、恐らく通常の百倍以上消費する。
三分間程度で丸一日分を使い切る可能性が出る。
そうなったら、残りの時間はガソリン切れとなり、苦の連続である。

感情労働者として心がけるのは、無駄な消費を控えること。
肝は、自分も他人も操作しようとしすぎない、心配しすぎないことである。

感情を一つの資源としてみると、無駄遣いを避けられるかもしれないと思った次第である。

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