前号の話になるが、自治的学級づくりを考える上において、次の本を紹介した。
『ぼくたちに翼があったころ コルチャック先生と107人の子どもたち』
タミ・シェム=トヴ 作 / 樋口 範子 訳 / 岡本 よしろう 画 福音館書店
https://www.fukuinkan.co.jp/book/?id=1644
なぜあの話の流れでこの本をおすすめしたのか、やや説明不足だったので、書く。
この本は、まさに子どもの権利を守った、戦時下ポーランドの「家」の物語である。
この孤児院は「家」と呼ばれていた。
「家」の創設者は、ユダヤ人の医師である「ドクトル」ことコルチャック先生。
ポーランド、ユダヤ人、戦争中、ときけば、ヒトラーのホロコーストが連想されるだろう。
そんな時代の話である。
この「家」では、2歳の幼児から15歳の少年少女107人が共同生活を送っている。
主に上級生が選挙で各部署のリーダーとなり、「家」の様々な役割を取り仕切る。
そのすべてが子どもの自治により運営される。
(「ハリーポッター」の魔法学校のイメージである。)
「家」では十分な食料と衣類品が支給され、ふかふかのベッドで眠れる。
これだけでも、どん底の貧困の中で暮らしていた子どもたちにとって、文字通り天国のような場所である。
「安全・安心」が保障されている。
何と、「家」の中での裁判もある。
「〇〇さんにとても腹が立つので殴ってやりたい」という申し出もできる。
「先生のあの行為、言動に不服だ」ということで申し出ることもできる。
陪審員は完全なくじによる5名の選出。
「ルール」が子どもたちの手によって保障されている。
(ちなみに、裁判は大抵が事前の話合いで取り下げか、「落ち度のある側に今後の注意を促す」ということで決着する。)
さらにこの「家」では1か月を別荘の大自然の中で過ごすサマーキャンプもある。
運動会もあるし新聞の発行もあるし、様々な文化的活動がある。
「楽しさ」も子どもたちが生み出している。
つまり、80年以上前に、戦時下で最悪の状況の国で、理想的な自治的集団が存在していたということである。
即ち、今の我々にできないはずがない。
環境も何もかも、この状況より各段に揃っているのである。
しかし、なかなか実現しない。
なぜなのか。
やはりこれは、大人の「観」や「信念」によるもの、としか結論づけられない。
子どもを、その権利を、どう見ているかという問題である。
子どもへの「愛情」というものをどう捉えるか。
子どもには、豊かに健やかに、幸せに育って欲しいと願う。
しかし、やたら与えればいいというものでもない。
やたら守ればいいというものでもない。
子どもには、伸びる力がある。
踏まれても潰れても立ち上がる生命力もある。
どこまで守って、どこから挑戦させるか、ということである。
学級づくりにおいても、このあたりの匙加減が肝である。
支援として、それぞれに必要な環境は与える。
一方で、失敗しながらでも自ら獲得が期待できる部分は与えない。
指導はしても、手は出さない。
そこが、信頼関係の問題である。
自治的学級づくりを考える上で参考になるので、紹介してみた。
2019年7月22日月曜日
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