2018年7月30日月曜日

水をあげすぎない

これも「まぐまぐニュース」に取り上げられた記事。
https://www.mag2.com/p/news/363108

学級で、アサガオを育てている。
子どもは、毎日水やりをする。

これ自体はいい。

しかし、夜から朝方まで雨が降っていた日でもあげようとする。
なんなら雨の日でもあげようとする。
実際、梅雨入りしたから、水やりは不要な日がほとんどである。

アサガオに対する愛情なのである。
手をかけて育てたくて仕方無いのである。

しかしである。

「お腹いっぱいのところに、もっと食べてとご馳走を無理矢理食べさせられたらどうか」
という例えで伝えてみた。
しかも、笑顔で愛情に溢れた笑顔で流し込んでくるのである。
かなり怖い&辛い。

アサガオの鉢の底はあいており、不要な水は流れるようになっているので、あげすぎても別に大丈夫ではある。
ただ、水が不要であることには変わりがない。

相手のニーズを読むということである。
水を欲している時にはあげればよい。
アサガオは、自らに水を与えることができない。
だから、やってやる。
これは、親切である。

水が不要な時は、放っておけばよい。
やってあげることが、お節介になる。

教育でもいえる。
子どもが自分でできないことは、助けてあげる必要がある。
しかし、子どもが自力でやれることは、見守ってあげた方がよい。

必要な時に支援がもらえいないのは困る。
そういう時、子どもとて追い込まれたら、何とか自力で工夫をし出す。

手を出して欲しくない時に手を出す方が、教育的にはより悪い。
自分でできることすらできなくなる。
怠け者の作り方は、何でも与えて、何でもやってあげることである。
「自分では何もできない人間」一丁上がりである。

「何不自由ない暮らし」は、幸福とは限らない。
人には足りないものがあるから、それ得た時に喜びを感じるし、それを得るために工夫し出す。
工夫して、歯を食いしばって努力する過程すら、後で振り返れば幸せである。
世界で最高にうまい一杯は、最高級のワインでもブランデーでもなく、夏場に汗だくになって働いた後の一杯である。

話が逸れた。
アサガオにだって、最高にうまい一杯は、土が乾いた後の水である。
乾けば、根を張る。
より強くなる。

何でも不足なく与えることは、教育ではない。
変化の多いこの時代を、強く逞しく生きぬける子どもを育てたい。

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