2018年7月21日土曜日

働き方改革と会議のあり方

働き方改革に関わって、会議のあり方について。
会議は残業に関するかなり重要な要因である。

前にも紹介した次の本から引用する。

『私の作文教育』 宇佐美 寛 著 さくら社
http://www.sakura-sha.jp/book/jyugyo/sakubun-kyoiku1/
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(引用開始)
会議での提案は、「〇〇をどうするか考えてください。」や「〇〇を検討しよう」であってはいけません。
それは評論にすぎません。
「自分は〇〇を……という状態に変えたい。『イエス』と言って賛成してくれ。」という論理であるべきです。
明確な政策意思への承認を求めるのです。
(引用終了)
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実に明快な文章・論理である。
長時間労働に悩むすべての世界にはびこる、無意味で長い会議の問題点をずばり突いている。

ずっと前にも書いたが、野口芳宏先生も同様のことを仰っていた。
野口先生が若かりし頃の、PTA旅行の行く先を決定する際の会議での話だが、当時のPTA会長に厳しく諫められたという。
A案とB案があるからどうしましょうではない。
既に最良のA案に絞っているから提案といえるのである。
それを深く反省し、学んだということを伺った。
(それを素直に吸収できるところが、すごいところでもある。)

提案者が強烈にイエスを求める状態でないものは、会議に出すべきではなということである。
それぐらいにしてから提案するのが礼儀である。
そうではない程度の「テイアン」という名の惰性で出す義務の文書なら、会議にかける必要すらない。
「例年通り」という文書による報告で終了である。
みんなの時間は、有限なのである。

そして、実は職員会議は超ハイコストである。
そもそも職員会議そのものの存在意義から見直すべきである。
費用対効果が悪すぎる。
例えば40人が出席の2時間の職員会議。
コスト計算をしてみると、人件費だけで概算20万円ほどかかることになる。
ものすごい費用である。
20万円もの価値ある話合い。
相当な価値の創出が見込まれる。

時間価値を低くするために、全員が残業地獄で規定の2倍の勤務時間(月320時間勤務)だとする。
そうだとしても、10万円の費用である。
(ちなみにこの試算は、厚生労働省の定めた過労死基準ラインの週80時間労働を全員がしている状態である。)

先の宇佐美氏の論理に従って再度考える。
どうせイエスと答える気なら、そもそも会議に出る必要がない。
「委任による承認」で出席不要である。
提案文書をよく読めば済む話である。

何のために敢えて自分が会議に出席しているのか、考えてみることである
提案に対し「言わずにおられない」ほどのことであれば、出席の意味がある。
一方で、よく調べて考えずに思いつきで提案に反対をすることは、大量の人員の時間と費用の浪費でもある。

まとめると、会議は学校や会社の貴重なリソースを大量につぎ込むハイコストな機会である。
だからこそ、曖昧な提案や意識の低い参加は避ける。
新たな提案による改革をしたい場合にも、会議の前段階の時点での下調べと周知(そして衆知)が必要である。

働き方改革において、会議のあり方を考えることは、インパクトのあるものになること必至である。

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