「指導案がなかなか書けない」という悩みをよくきく。
そもそも「作文が苦手」という人もいる。
なぜなのか。
論理的な思考が苦手だと考えられる。
論理的思考が得意だと、作文や議論といった表現活動は容易になる。
論理的な文章とはどういうものかがよくわかる本を紹介する。
『私の作文教育』 宇佐美 寛 著 さくら社
http://www.sakura-sha.jp/book/jyugyo/sakubun-kyoiku1/
著者の宇佐美氏は、千葉大学名誉教授である。
私も学生時代、お世話になった。
私の書いた作文を「悪文」として講義で全員に配付されたこともある。
(十数回しかない講義の中で「選ばれた」ことはある意味ラッキーである。)
まあ、そんな「公開処刑」みたいなことがあって、結構論理的な文章というのを意識し出した。
数回の後に、今度は「なかなか良い」ということで紹介された回もあったらしいが、私は、本当にたまたまその回だけ欠席だった。
出席した友人曰く「松尾君は、間が悪い男だ。」とご講評いただいたという。
何かと思い出深い先生である。
さて、この本から次の文章を紹介する。
==============
(引用開始)
原文(疑問・批判の対象)にはAと書かれている。ところが、Aとはかなり違っているBというものが有る。
なぜ、原文は、Bではなくて、Aなのか。
私の疑問は、このような構造なのである。つまり、先に「批判含み」と称した疑問なのである。
(引用終了)
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この構造を常に意識していれば、論理的にアイデアを考えられる。
Aを批判するには、AだけでなくBを知らないとできない。
Aしか知らないというのは、Aすらよく知らないという状態に等しい。
Aに関わる良いアイデアが出ないのも、A以外の状況を知らないからであると考えられる。
この文章のみだとわかりにくいかもしれないので、例を出す。
例えば、学校に髪を染めてきてはいけないという意見(A)がある。
一方で、髪の色について完全な自由という学校があること(B)も知っている。
また一方で、ゼロトレランスを取り入れて、従わないと退学になる学校もあること(C)も知っている。
Aの意見を主張したい場合、Aと全く異なるBの意見も知っている必要がある。
そうでないと、Bの意見を出された時に、全く太刀打ちができない。
また、Bと真逆のCの意見を隠し持っておくことで、更に論理を強くすることもできる。
違う使い方もできて、BやCで主張したい場合もこの応用である。
つまり、髪を染めてくる生徒を指導するのに「染めてはいけない」の一辺倒の論理では通用しないということになる。
「染めてもよい」という意見や「自分もやっていた」というような立場の意見があった方が応用が利く。
「真面目一辺倒」で生きてきていると、この辺りの規則破りへの対応に苦戦する可能性が高いといえる。
(男兄弟のない環境で育って母親になった人が、男児の意味不明で下品な行動を理解できないという状況と同じである。)
何にでも応用が利く考え方である。
アイデアに煮詰まった時には、何かと使える考え方だと思い、紹介してみた。
2018年7月3日火曜日
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