前号に引き続き、学校での働き方改革を考える。
職場を思い浮かべれば、ばりばりやる人、ほちぼちの人、あるいはそうでもない人もいるかもしれない。
毎日夜遅くまで残業している人、定時で帰る人、短時間勤務の人、色々いる。
いつでも精力的でばりばりやる人、決められたことを自分のペースでぼちぼちやる人、マイペースでゆったりな人。
あるいは、それらが混在している人。(人は気分で左右されるので、これが一番多いはずである。)
実は、どの人も学校にとって大切である。
全員がばりばりタイプだと、成果が上がるが子どもも教員も気疲れする。
全員がぼちぼちタイプだと、業務は成立するが変化も活気もない。
全員がゆったりタイプだと、リラックスできるが業務が成り立たない。
職場も学級も、色々なタイプの人間がいた方がいい。
残業するかどうかも、これである。
みんな残業が当たり前の職場だと、帰りたくても帰れない人が困る。
みんな定刻退勤が当たり前の職場だと、残ってやりたい人が困る。
早く帰るのも遅く残るのも本当に個人の自由というのが理想である。
どちらも人に強制をしないことである。
そういう気風が流れているか。
気風は、意識的に作られるものである。
「忙しい」とか「大変」とか「〇〇してあげてるのに」とか言うのは、残業するにあたってはマナー違反である。
周囲への攻撃(口撃)行為に等しい。
そうすると、残業しない人はがんばっていないという、ダメな気風ができる。
(ただし、苦しんでいる仲間が愚痴をこぼすのを聞いてあげるのは大切である。
あくまで、自分自身の姿勢の話である。)
一方、夜遅くに教材研究しながら「明日これを使って子どもに授業をしたい」と楽しそうに働いているのはいい。
「自分の都合」で残業しながら、いきいきしている。
嫌味も文句もいわずに、爽やかにありがたく残業させていただいているなら最高である。
(学校や会社によっては、残業完全不可もあるのだから、できること自体有難いことである。)
早く帰るに当たっては、周りの人への感謝が大切である。
周りの人の仕事のお陰で自分の仕事が成立していることを念頭に置いておく。
がんばっている人に感謝してありがたく定時に礼をしてさっと帰らせていただく。
「私はこうなのに」「俺のようになれ」は、迷惑である。
極論、自分が残りたいから残っているし、自分が帰りたいから帰っているのである。
どんなに理由・理屈を付けてもそうである。
それぞれ個人の価値観がある。
そして「正義」は、価値観の数だけある。
正義の押しつけは犠牲を生む。
例えば私などでも拙著『捨てる!仕事術』で書いたことは、あくまでアイデアである。
私のようにやるのが本当に良いかどうかは、別問題である。
そういう働き方や考え方がありえるというのを知ることで、自分の働き方の幅が広がるということに価値がある。
個人の働き方を考える上では、自分の中の視点を増やすことが肝要である。
2018年7月13日金曜日
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