今回も「まぐまぐニュース」に取り上げられた記事。
https://www.mag2.com/p/news/365086
先月、県内の小学校にて、「聞く」をテーマに校内研の講師をさせていただいた。
昨年度に引き続きお世話になっている学校である。
校内全ての教室の授業を見せてもらい、研修会の冒頭で話したことが
「黙る」
ということの大切さである。
この学校では、清掃の時間に黙働をしてきた実績があり、黙って掃除ができていた。
聞く力の素地ができているということである。
聞く力というが、実は先に黙ってないと聞けない。
「黙る力」が前提にある。
これは、自己コントロール能力であり、我慢、辛抱である。
話す力というが、実はおしゃべりとは性質が全く違う。
だから、おしゃべりを推奨しても、学習指導要領が目指すような話す力と聞く力はつかない。
(代わりに、気晴らしにはなる。)
一般的におしゃべりが得意な類は、言わずもがな中高生の女子である。
三人集まれば、言葉の機関銃乱射状態である。
とりあえずの相槌は必要だが、聞く必要はあまりなく、ひたすら好きなことをしゃべりまくれる。
だから楽しい。
おしゃべりは、無目的。
語弊がありそうなので付け加えると、方向性や達成目標がないのである。
しゃべることそのものが目的であるともいえる。
だから、ここには教育は不要である。
話さねばならない場面というのは、目的がある。
プレゼンを成功させて契約を結ぶ。
問いに対しての自分の解を伝える。
やる気を出してもらうためにスピーチする。
目的がある。
目的達成に向けて、意図をもって工夫して話せるのが、話す力である。
聞く場面にも、目的がある。
多くの場合があるが、聞くことの目的を一言で集約すると、
わかりたい
である。
(だから、自分のことをひたすらしゃべりたいだけのおしゃべり会では、聞く必要がない。)
わかりたくないと、聞けない。
聞く力は、わかろうとしないと、作用しない。
だから、能力自体があっても、対象に興味がないと、聞けない。
極論、聞きたくなるような話を毎回すれば、必然的に聞くようになる。
「聞く」をテーマに見させてもらうことで、自分自身の考えも深まった。
何事においても、とりあえずテーマを定めることが、力をつける近道になりそうである。
2018年7月28日土曜日
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