2018年7月11日水曜日

働き方改革と学校

今話題のキーワード「働き方改革」を学校で実行することについて。

「働き方改革」の中心は、長時間労働の是正である。
一方で、企業としては、長時間働くことで利益を何とか確保してきた経緯があり、俄には取り入れにくい。
ただでさえ不況にあえいでいるのに、社員の労働時間まで規制されてはかなわないというのが本音だろう。
社員の側も、規定勤務時間内に仕上げることが不可能な量の仕事を抱えているため、歓迎できない。

そもそもは、それを滅私奉公とサービス精神でまかなっていたのが、仕事の量が異常に増えた根本的な原因である。
与えれば与えるだけこなすものだから、使う側からすれば極めて「便利」である。
どんなに与えても「無料」サービスで働いてくれるので利益が上がり、同時に社員の作業量は無限に膨れあがる。

学校の教員の残業が異常に多いのも、これら一連のガンバリズムループの負の遺産である。
労働組合も各地で正常に機能しているとはいえず、世論やお上の無理な要望やお達しに「NO」といえない仕組みになっている。
何とか成果を出すために、高校で問題になっている朝課外(通称「0時限目」)や夕課外という力技な発想になる。

土曜スクールも同じ発想源である。
質的充実を量でまかなう発想を一切止めないと、作業量膨張の無限ループに必ずはまる。
(飲食店でも量を増やす、安くするというのは最も安易で即効性の効果が出る方法である。)

ただし働く側も、やればやるだけ成果が出る状況だと、何時間でも働けるという面がある。
好きなことで、やり甲斐と喜びさえあれば、どんなに働いても実は疲れない。
(逆に嫌だと思うと5分働くだけでも疲れる。)
子どもがゲームに熱中しているのとほぼ同じ状態である。
だから、法的に規制されると困るという声も当然上がる。

中学校現場(また一部の小学校)で話題の「ブラック部活動」問題も基本構造は同じである。
規定時間内の練習では不可能なニーズに教員がこたえる形になっている。
当たり前だが、土日は本来勤務日ではない。
だから、今回の改革も、きちんと規定の枠内でやりたい人には歓迎できる。
しかし、もっとやりたい人(生徒、保護者、教員)にとっては、規制されるのは迷惑千万である。

突き詰めると、最善の働き方とは、個々のニーズに規定される。
個人で選べるのが一番なのだが、利益や勝負が絡んでくると、たくさんやりたい人とそうでない人の間に摩擦が生じる。

そう考えると「ベーシックインカム」の考え方は、あながち夢物語とはいえない。
この考えは、全国民に、働かないでも暮らせる程度のお金が税収入により基本支給される制度のことである。
高い労働意欲のある人々が利益を大量に生みだし、他の人々の生活をまかなう形になる。
よく働く人にとっては、働くほど感謝されて、足を引っ張られないというのがいい。

かつて読んだ『働かないアリに意義がある』という本に書かれていたことを思い出した。
働き者のアリは、全体のごく一部である。
この働き者のアリは、コロニー全体のために、常にひたすら、がむしゃらに働く。
一方、きちんと働きつつ、時々うまくさぼるのが大半。
そして一部のアリは、ただひたすら怠けているだけである。

しかし、この怠けているのが、非常事態になると立ち上がり活躍することがある。
怠けアリはコロニーにとって「余裕」の部分なのである。
常時全員が目一杯働いていると、非常事態に対応できないのである。
だからどのアリも、コロニーにとって生きている価値があるといえる。

結局、たくさん働こうが働くまいが、本来は個人の自由なのである。
労働に関する議論の決着は、集団の価値観が決めるだけなのである。
集団の「利益」や「勝利」の価値観が強めの時代や場なら、たくさんやりたい側が世論的に有利になる。

一方、個人の「幸せ」や「生活」を重視する時代や場なら、そうでない側が世論的に有利になる。
ここまで少し力技でやりすぎた感があったので、ちょっとそうでない側に寄せた感じである。

働き方改革という大きな法案も、額面通りに受け取らずに一歩離れて見つめてみたい。

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