先日、都内のある区で、保護者を対象とした講演会をしてきた。
「10年後に自分で食べていける子どもの親」がテーマだった。
10年後というのは、要はロボットが今以上に仕事をする時代であり、
「ロボットに負けない子どもの育て方」である。
ここを考える上で、ロボットな子どもの育て方を考えた。
ロボットは、
・プログラムに定められた手順通りに動く
・無限に反復作業ができて、疲れない
・命令以上のことはしない
・無感情・無感動
等々の特徴がある。
ここで勝負すると、負けるわけである。
教室で、自分がやっていることを考えてみた。
ロボットは、無感情のため、意味のないことでも淡々と永遠に繰り返せる。
子どもに何かをやらせたい時は、意味を考えさせる。
「その掃除は何のため?」
「朝の歌?歌う意味ないと思うならやめちゃおうよ。」等々、結構挑発する。
(一時期、本当に止めさせたこともある。意味を見出すまで、歌わせなかった。)
意味がわからないでただ「あるから」やることに違和感をもたない子どもに、将来の危険を感じるからである。
講演では、台形の面積の公式を例に出した。
例えば、学習塾に通っている子どもは、学校で習う前から台形の面積の公式を使って、面積を求められることがある。
また、学校で公式を習ったから、とにかく「できる」と思っていることがある。
しかし、テストで〇になっても、その公式の意味がわかっているのかというと、これは怪しい。
怪しいというより、さっぱりわかっていないことがある。
(全員とは言わないが、わかっていないことの方が圧倒的に多い。)
公式を覚えて正解が出せることと、意味がわかっていることは、全く別物である。
公式や解法をとにかく丸暗記させて演算で解かせることは、ロボットへのプログラムと同じである。
つまり、普段の授業からして、子どもを緩やかにロボット化している可能性があるということ。
緩やかな変化というのは、気が付かないので一番恐ろしい。
その学習活動にどんな意味が、ねらいがあるのか。
なぜ立って音読をさせるのか。
なぜ子どもに手を挙げさせるのか、またはいきなり指名するのか。
なぜ準備運動としてランニングをするのか、またはしないのか。
その形式を重んじた台詞や動作にどんな意味があるのか。
どれも考えている人は全て答えられるし、考えていない人は答えられない。
自分の頭で考える子どもに育てたいなら、「なぜ」「何のために」を常に忘れない。
そういう小さな積み重ねこそが大切と思う次第である。
2017年11月29日水曜日
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