10月、ノーベル賞が発表された。
故人だが、2004年に環境分野で初のノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさん。
そこに関連した気付き。
私は初任校の頃から、毎日、または断続的に、子どもに「日誌」の宿題を出している。
私は一切の宿題を出さないと思っている方もいるかもしれないが、そういう訳ではない。
毎日5分程度でも、気付きを記すことの重要性を感じている。
私自身も、ずっとやっている。
上下で半分に切ったノート1ページ程度に「気付き」を書く。
ただ出来事を記す「日記」ではない。
気付きを書き、それを共有する「日誌」である。
(私が以前学んだ「原田メソッド」でも、「日誌」という言葉を用いる。)
子どもが、こんな気付きを書いてきた。
みんなが使う物の片付け方や、整理整頓の仕方が悪い。
そうすると、やがてなくなったり壊れたりする。
結果、買い直すことになり、新しく買えたはずの他の物も買えなくなる。
結果、自分たちで自分たちを苦しめる。
当たり前のようだが、これは素晴らしい気付きである。
物の乱雑な扱いが、結局、最終的に自分に返ってくる。
そして常々言っている「物の扱いは人の扱い」である。
ここからは私の解釈だが、これこそまさに「勿体ない」である。
元々は「勿体」は「物体」であり、物の扱いが妥当でない、不行き届きである、不相応である、ということからくる。
物の扱いが、不当ということである。
当然、やがて自分も「不当」な扱いを受けることを甘んじて受け入れなくてはならない。
そういう覚悟で、物を扱う。
特に公共の物に対する扱いは、世間を通して自分に返ってくる。
私物以上に、注意していきたいところである。
また、こんな気付きを書いた子どももいた。
総合的な学習の時間で、身体が不自由ということについて学んだ。
身体が不自由な人や、言葉が通じないで困っている外国の方がいたら助けたい。
しかし、自分には能力が足りない面がある。
それならまずは、身近な人から親切にしていく。
これも大切な気付きである。
毎日の気付きを書く。
学びは、日々の気付きにあり。
毎日の宝物を捨てたら「勿体ない」と思う次第である。
2017年11月17日金曜日
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