学級で、よろしくないことが起きる。
「何やってるの!」と思う。
そうすると、正したくなる。
正しくないことに対して、感情が働いて腹が立つ。
視点と評価基準が、自分にあるからである。
学級で、よろしくないことが起きる。
「どうしたのかな?」とみる。
そうすると、理解したくなる。
理解できないことに対して、頭が働き、心が働き、「心配」になる。
視点と評価基準が、相手に移るからである。
この習慣は、なかなか身につかない。
学級だけでなく、いつも意識して、日常生活で一生をかけてトレーニングしていく必要がある。
例えば、運転中。
信号待ちしていて、青になっているのに前の車が動かない。
「何やってるの!?動いてよ!」と思う。
腹が立つ。
これが、意識していない普通の反応とする。
「どうしたのかな?」とみる。
車の中を想像する。
何か考えごとをしているのかもしれない。
何か哀しいことがあって、ぼーっとしているのかもしれない。
スマホをいじっているだけかもしれないが、それはわからない。
だったら、「何か事情があったのだろうな」と思った方が、自分の心も穏やかである。
「どうしたのかな?」は、想像力。
思いやりとは、想像力を相手のために働かせること。
想像力を働かせないと、すべて自分視点でものを考えることになる。
相手に伝える時は「Iメッセージ」がいい。
でも相手を理解したい時は、相手視点がいい。
「どうしたのかな?」は、学級経営のキーワードである。
2017年11月7日火曜日
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