群馬県の高崎で行われた「パワーアップセミナー」での学び。
「誰かにとっての正義は、誰かにとっての悪」
というような話が出た。
(どなたが話したかが、記憶が明確でない。)
宗教間、民族間の争いはそれが顕著に出る。
日本が経験した戦争も然り。
正義というのは、見方の問題で、裏から見れば悪にもなり得る。
学校内にも正義はある。
「正義感が強い」というのは良いことかもしれないが、諸刃の剣である。
相手にも、相手の事情がある。
対子ども、対保護者、対同僚、対地域。
相手の正義を考慮しないと、痛い目に遭う。
自分にとって心からの善意と思った行動は、相手にとって迷惑な「悪」ということも有り得る。
良かれと思ってやった行為が悪い結果、というのは往々にして起こる。
正義は、悪。(かもしれない)
含蓄のある言葉である。
2014年7月27日日曜日
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