次の記事に、共感した。
「オンライン授業が教育現場を救う」という文科省の幻想 前屋毅
もうこれを紹介して読んでもらうだけでもお腹いっぱいになる気がするが、自分の見解も入れる。
前屋氏が言っていることは、私の実感と完全に一致している。
私はオンライン、それも双方向授業を何度かやって、そこへの実感がある。
現実の対面で実現できていないことは、オンラインでは到底実現できない。
今時点で学級経営ができないのであれば、そこで本来実現されるはずの力は、オンラインでの学級経営でも実現できない。
当然のことである。
この原則は、あらゆることにいえる。
〇〇があれば、できるのに。
これを言ったら、100%できない。
いや、本当はやる気がない、あるいはやりたくないのだと考えて間違いない。
一番わかりやすいのが
「お金があったら○〇するのに」
である。
そんなことない。
大抵の場合、お金の問題は何とかなるのだが、そんなに実現したくない、あるいはする気がないのである。
一人一台タブレット端末がいき渡ったら、本人の興味に沿った個別学習が実現する。
学力が向上できる。
生き生きとした授業が実現する。
そんな訳ない。
一人一台タブレット端末に対応した新たな方法が必要になるだけである。
それよりも「簡単」な普通の対面授業ができないのであれば、結果は期待できない。
絶対に勘違いしてはならないのは、今何かがうまくいってないのは、何かの不足や環境のせいではない、という事実である。
自分がうまくいかない時、周りのせいにしたくなる時、いつも自分に問いかけることがある。
「それは、尊敬する○○さんがやっても、日本一の人がやっても、無理か、同じ結果か。」
できるに決まっている。
○○さんには、歴史上の人物を入れてもいい。
そうすると、既に実現しているだけに、言い訳はきかなくなる。
要は、自分次第なのである。
色々理由をつけて逃げたくなるが、自分次第なのである。
例えば四肢が不自由であっても、自分にできないことを成し遂げる人がいるという厳然たる事実から、逃げることはできない。
GIGAスクール構想自体は、大変結構であり、遅すぎたくらいである。
しかしながら、それだけでは現在の学校教育の抱える本質的な問題を解決するには至らない。
あくまで、この過程における必要な手段の一つでしかない。
新しく必要な環境整備である一方、今起きている学級経営上の諸問題を解決する手段ではない。
何が今の本質的な問題か。
これを、教育に携わる全ての人間がそれぞれに考え、答えをもつことが肝要である。
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