2020年9月26日土曜日

「お願いします」「ありがとうございます」の礼儀

 日本の首相が辞任という、大きなニュースが世界を駆け抜けた時に書いた記事。

首相へのインタビューが横柄・無礼すぎるということで一部問題になっていたが、同感である。

これだけ長きにわたり日本の政治のリーダーとしてやってきた相手なのだから、どういう立場にせよ、対する時の礼儀はあって然るべきである。


政治的な立場や上下関係云々を抜きにして、人に接する時の当たり前の礼儀というものがある。

これが今、日本の世の中に欠けてきているものである。

日本がリベラル化していくということと、国際的にも通用する礼儀をもつというのは、別問題である。


そもそも、日本を動かすほどの立場の苦労なぞ、市井の身にはわかりようもない。

自分よりも重い責任ある立場を務めてきた人に対し、労いの念と礼儀をもって接するのは至極当然である。

そういう人に聞きたいことがあるのなら、一言「お疲れ様でした」と付けるぐらい、できたのではないかと思ってしまう。

自分の用事優先、自分軸中心になってしまっている感は否めない。


この辺りの「平等」を勘違いしてはならない。

人間が生まれながらにして平等であるということの意味と、相手を人間として尊重するということは同義である。

全ての人間の年齢や能力、生まれた時の地位や財産が同じだと言っているのではない。

全ての人間には人権があるといっているのである。

子どもに対して尊敬の念をもてないという人は、この辺りの人権感覚がズレている。


すべて、人に対して、礼儀をわきまえる。

自分の上司のような、立場が上の人に接する時は、普通誰でも意識する。

しかしそれで自分よりも立場が弱い人に横柄になるのであれば、上の人への礼儀も偽物である。

特に子どもなどの立場が弱い相手に接する時には、意識的に相手を最大限尊重する態度をとる努力をすべきである。

(一方、どんな立場の相手にせよ、横柄な相手にこちらが無理にへり下る必要はない。)


だから、子どもには、礼儀を教える。

何か頼む時は「お願いします」、してもらったら「ありがとうございます」の一言を添える。


それに相手の立場や自分との関係性は、一切関係ない。

友だちだろうが先生だろうが、親だろうがコンビニの店員さんだろうがバスの運転手さんだろうが、近所の小さい子だろうが、すべて同じである。


誰が相手だろうが、何かしてもらう時は「お願いします」とセットで「ありがとうございます」

それを習慣化する。


これは、教える側にも当てはまる。

例え子どもに頼むのであっても、自分の頼みごとであればお願いの一言を添え、してくれたことにはお礼を伝える。

(ちなみに、子どもに「勉強をしてくれてありがとう」というような馬鹿な話はない。

子どもが勉強するのは、あくまで子ども自身のためである。周りの大人がお礼を言うのは筋違いである。)


つまり、立場の上下とは別の話なのである。

人と接する際の、当たり前の基本のキの話である。


こういうことを、今は学校が教えるしかなくなっている。

家庭内が核家族化し、親と子しかいない関係性だと、教えられないことも多々ある。

だからこそ、学校がやるべきことである。


善意の強制、価値ある強制とは、師の野口芳宏先生の言である。

知らぬなら、知るように教えればよい。


自国における世の中の乱れの責任の一端は、常にその国の学校教育の結果にあることを忘れずにいたい。

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