8月に、ある市の若手の先生方を対象に、オンラインでの研修講師をつとめさせていただいた時にした話。
昨年度も特別活動部会で学級づくりをテーマにお話をさせていただいていた。
夏休み明けで忙しいところへの貴重な時間を使っての研修である。
こういう場で話す時に特に気を付けるのは、「伝わる」の一点である。
場によって、話す内容も話し方も変えないといけない。
学級集団には段階がある。
教師の指導性も子どもの自由度も低い「学級開き」の第1段階。
教師の指導性が高く、子どもの自由度は低い「一斉指導」の第2段階。
教師の指導性も子どもの自由度も高い「ペア・グループ活動」の第3段階。
教師の指導性は低く子どもの自由度が高い「自治的活動」の第4段階。
この段階に応じて指導の仕方を変えていく必要がある。
当たり前だが、初対面の人たちと話す時と、何十年も付き合いのある人たちと話す時が、同じような仕方であるはずがない。
そういうことである。
ちなみにこの理論は、私の考えたものではなく、上越教育大学大学院の赤坂真二先生のものである。
次の本の2章に詳しい。
『スペシャリスト直伝! 学級を最高のチームにする極意』 赤坂真二著 明治図書
今回は、市内全ての学校が対象ということで、ほとんどが初対面であり、第一段階の「学級開き」と同じである。
ただ、学級のように関係性や信頼性の構築に力を注いでいたら時間が終了するので、そこにはあまり時間を割けない。
「伝わる」を念頭に、「一斉指導」の第2段階を中心に据えて、時々「グループ活動」といった体になる。
この原則は、あらゆることに適用できる。
例えば、数式というのは、数学者や物理学者にとって世界を表現するための、最も正確にして美しい表現手段である。
しかしながら、美しく完璧な数式で表現されても、それを知らない人にとっては、さっぱりわからないただの記号の羅列である。
だから第一段階の学級開きよろしく、お互いのことをさっぱりわからないという前提から始めないとならない。
一方で、専門家同士が話す時、それらのまどろっこしい説明はいらない。
互いに数式を書き合って議論ができる。
いうなれば第4段階であり、指導者が不要に近い状態である。
当然、専門家に育つまでは、途中のしっかり教えてもらう第2段階や、師を交えながら仲間同士で議論する第3段階もある。
何かについて育成しようという時は、この原則に従うのが、基本である。
一方で、これに従わない方がいいものもある。
一つは、先達がいない分野、あるいは先達が誤った方向に進んでしまっている分野である。
教えてくれる人が存在しない分野は、独学で切り開くしかない。
あるいは、先達が誤っている場合、そこに従うのみでは、正解に辿り着けない。
「地球を中心に太陽が回っている」という前提では、現在の地動説には辿り着けない。
ニュートン力学の前提に立った上では、量子論には辿り着かない。
どれが正しいのかわからない分野では、先達のやり方を愚直に続けても真理に辿り着けないということである。
話を元に戻す。
今回、第1段階からなのだから、わかる話にしなければならなかった。
学級づくりについての第1段階から第2段階の話をしつつ、第3、第4段階への道筋を示せという依頼である。
無理は承知で、あくまで概論を示した。
ちなみに、第4段階の自治的活動については、実際にやっている人でないと、まったく理解できない。
ただ自由に放置して遊ばせているようにしか見えないからである。
達人的な段階の教師の授業を見たことがある人にはわかると思うが、そのレベルだと、教師が授業中にほとんど出てこない。
だから、見ていても何がこのものすごい子どもたちの活動につながっているのか、さっぱりわからない。
真似して自分もやってみると、学級が滅茶苦茶になる。
「あんなやり方はいい加減だ。だめだ。」となる。
そうではない。
集団の段階が違うのである。
第4段階の集団では、子ども自身が育っているため、どんな課題を投げても、自分たちの「もの」にしてしまう。
一方で、第2段階にとどまる集団では、いきなり課題を投げられても、自分たちだけではどうしていいかわからない。
その「育ち」の違いである。
ちなみに「うちはペアトークをよくしているから第3段階」などと思っていると、大やけどする。
集団の育ちとは、そういう方法論や形式を言っているのではない。
問題は子どもが育っているかどうかだけであり、見た目は「ペアトーク」で同じかもしれないが、レベルによって内実が全く異なる。
「間をつなぐためにペアトーク」「ただ楽しいからペアトーク」というものがかなり多い。
そうではなく「隣と議論せずにはおれない」「話さないと始まらない」というやむにやまれぬ思いで始まるペアトークでありたい。
どうするとそう育つかだが、方法論の話をすると、それをただやるだけではだめ。
一方、その時やるだけではだめ。
「意図をもって」「いつもやる」というのが、単なる方法論を血肉化するための常套手段である。
もし「ペアトーク」を使いこなせるようにしたいなら、いつでもそれを推奨する。
「国語だけ」「学活だけ」というような程度のものでは、形式にとどまる。
休み時間や掃除の時間はもちろん、必要ならば授業中であっても隣と話しても構わないというようにする。
それは、「第2段階」にある教師と子ども集団にとっては、不都合の多い自由なルールでもある。
それでも、少しずつ取り入れながら、慣らしていく必要がある。
「黙りなさい」から「喋りなさい」といういきなりの方法変更は、無理と混乱が生じるからである。
まずは「一斉指導」ができる段階を踏むこと。
次に「ペア・グループ活動」に慣らす段階に進むこと。
そして、自治的活動を目指す。
今回は、こういう構成で話をした。
大抵、質問に詳しく答えすぎて時間が足りなくなり、今回も御多分にもれなかった。
オンラインで話せるというのは、現代の一つの恩恵である。
これから広まっていくと思うが、そのための方法論も自分なりに構築していきたい。
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