全国いたるところで、5月いっぱいまで更に休校が延期された。
この調子では、どこまで延期の延期が続くか見通しがもてない。
3月からの2か月にわたる休校期間。
この期間にオンライン教育を少しずつだが進めてきた上で、見えてきたことがある。
この休校が明けた後、オンラインによるデジタルな教育が確実に全国の学校に入ってくる。
世界的に見てICT教育はスタンダードなことなので、今回の騒ぎにおける、日本の教育においてのインパクトは特に強い。
そもそも、日本人というのは、世界的に見てもアナログな国民性である。
YESかNOか、0か1か、ONかOFFか、きっぱりしていない。
嫌いな相手に嫌いとはっきり言う、
勤務時間の定刻になったからすぱっと帰る、
思っていたものと違うから「変えてくれ」と交渉する。
どれも一般的に、日本人が「苦手」とされるものである。
日本人の文化は「曖昧さ」にある。
「結構です」がYESにもNOにもなる。
「結構です」を英訳すると「No thank you」なのだが、実は「Thank you」の場合もある。
多分、欧米圏の人々にとって、意味不明で非論理的な文化である。
これが、日本人の良さでもある。
人のふれあい、あたたかみや、「粋」「わびさび」といったものを大切にする文化である。
デジタルな0か1かの世界は「冷たい」「無粋」なのである。
さて、この国民性が、あまりにもデジタルな印象のICT教育に、どうもなじまないようである。
「やっぱり手書きの温かみ」であり「重要書類には印鑑が大切」という文化「だった」のである。
しかし、そうも言ってられないというのが現実である。
明治時代に開国を迫られてから一気に文明開化したように、今が改革のチャンスである。
江戸時代が鎖国していて平和だったからといって、それは単に海外の脅威が無関係だったまでの話である。
黒船ならぬウィルスによる脅威が、ICT鎖国をしていた日本の教育に「開国」を迫っている。
YESかNOかの返答を突き付けられている状態である。
「NO」と答えることもできるが、それは大砲を撃ち込まれる以上の損失、「機会損失」を被る可能性が高い。
学校教育のオンライン化を一気に進めるチャンスは、今しかない。
「今まで大丈夫だったから必要ない」などという江戸時代の役人のような考えは、亡国の危機を招く。
教育に限らず「令和維新」の時が来たのである。
歴史上のいつを見ても、年号の変り目は、時代の大きな変り目である。
単に自宅でやり過ごす時期ではなく、維新の時なのである。
今、苦しい状態に追い込まれている業種においても、変革せざるを得ない時のはずである。
そして、変革の流れに痛みを伴って得たものは、この騒ぎの後でも確実に生きていく。
これは、歴史が教えてくれていることである。
さて、4月いっぱい、どのような教育ができただろうか。
新しい教育の可能性は、見えてきただろうか。
恐らく、この期間に苦しいながらもICT化を進めてきた学校は、わずかでも掴んだものが実感としてあるはずである。
この期間に学校として何もICT化を進めていないということであれば、もうそれはかなりの危機感を持った方がいい。
「周りもそうだから大丈夫」というのは、まさに鎖国的な考え方である。
先日、都内の公立校の友人から「Microsoftのteamsを導入したい」ということで相談を受けた。
諸々紹介したところ、とんとん拍子で、学校として導入することになったという。
こういう流れがどんどんできるといい。
何もしないより、確実に全国の子どものためになる。
導入に必要な資料は、導入している学校に問い合わせればある。
近くにそういう学校があればきいてみればいいし、私に問い合わせてくれても喜んでお答えする。
(本校の管理職や情報担当も、この動きが広がることを望んでいる。世に広く貢献できることこそが附属小学校の使命だからである。)
仏教や禅の言葉で「知覚動考」という言葉がある。
「知って」「覚えて」 「動いて」「考える」という意味である。
これは本来「ちかくどうこう」と読むのだが、無理やり「ともかくうごこう」とも読める。
(色んな人が言っているので、誰が初めに言い出したかわからない。誰か教えてくれると嬉しい。)
ともかく、動こう。
ゆっくり覚えて考えている暇はない。
「知らないからできない」を理由にしたら、地球上の誰にも何もできない。
存在を知ったなら、自分が動きながら覚えて考えればよいのである。
今回の連休は、教員にとって、休むための期間ではない。
次に先手を打って動くための、大切な準備期間である。
何もしないで待っていても、何も変わらない。
動く人間は、既に動いている。
ともかく、動こう。
2020年5月2日土曜日
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