2020年5月14日木曜日

児童虐待問題 親へのケアを考える

前号では、児童虐待を防ぐということについて書いた。
更に、精神科に連れてこられる子どもは「見なし患者」といい、その親に根本的原因がある場合を考えてそう呼ぶことも書いた。

学校教員の教育対象は、当然子どもである。
しかしながら、子どもに最も影響力を与えるのは、親である。
従って、教員にとって、親を無視しての教育というのは成立しない。

親自身が「虐待しそう」と児童相談所などに相談するケースが急増しているという。
こういう相談をする人は、その状況下においてある意味かなり正常であり、正確な自己分析ができているといえる。
「自分を止めてください」と助けを求めているのである。

特に今、閉鎖的な状況において、親の方も苦しんでいるのである。
虐待しそうと苦しんでいる親に、単純に「そんなことはいけない」というのは、無意味どころか害悪である。
学級崩壊している学級の担任に「怒ってはいけない」と言っているのと同じである。
それはそうなのだが、結果的にそうなってしまっているから本人は困っているのである。

こういう状況において、本人にがんばらせるのは、酷である。
脚が折れている人に走れというようなものである。
苦しんでいる人には、周囲の助けが必要である。
精神論ではなく、具体的な手出し、手入れをするところである。

そういう意味でも、家庭訪問や電話には意味がある。
子どもが気になって連絡したら、悩んでいるのは親御さんの方だったというケースは、非常に多い。
通常から、ちょっとしたことで家に電話をするという習慣が大切な所以である。

今は、メール等の手軽な通信手段もあるが、敢えて電話という選択肢をとる。
ビジネスだとやたらな電話は嫌がられるが、学校教育では必要なことである。
電話で話していると、「実は・・・」というように、ぽろっと本音や悩みをこぼしてくれる。

これには、普段からの連絡の習慣が大切である。
敢えて「そんなことでわざわざ電話しなくていい」と言われるように、一定数の方々には鬱陶しがられる覚悟で、かける。
我が子に「無関心な担任」よりも「関心をもってくれる担任」の方に信頼感をもつのは、当然の心理である。

手紙は更に手間である。
手間がかかるものほど、伝わるものが大きいという面も確実にある。
単に同じ文面を印刷しただけのDMと、手書きが添えられた葉書との差である。

そして手紙や葉書のような文面に残るものは、いいことの伝達以外に使わないというのが大原則である。
文字情報だと、お願いのつもりが文句やクレームに見えやすいからである。
保護者から学校宛なら問題ないが、逆方向では控えるべきである。

話がやや逸れたが、とにかく連絡をとって、子どもだけでなく親の方へも配慮が必要である。
ただでさえストレスフルなのだから、学校から、あまり多くを要望をするのは控える。

難しいのが、課題の量。
多すぎても子どもと親双方のストレスになるし、少なすぎても不安になる。
地域や学校の実態、個別の子どもの実態に応じて、考えるべきところである。
ここの点こそ、悩んでいる親と個別に相談するべきところである。

学校は、第一に子どもを守り、成長に導くべき。
だからこそ、その保護者である親へも対応する。

全国の児童虐待問題は、学校の問題でもあるという意識を、学校教員はもつようにしたい。

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