現在、担任している子どもの顔を見られるのがオンライン上だけである。
それでも全く見られない環境よりは大分有利で、その環境にいること自体がレアである。
よって、今感じていることを書くのは、多くの学校関係者にとって意味があると考える次第で、書く。
現在、私の勤務校である千葉大附属小で採用しているソフトは、Microsoftのteamsというものである。
オンライン会議はZoomが主流であると思う。(これも問題が出てきたが。)
しかしアカウント配付やファイル共有等の都合もあり、こちらのteamsを用いている。
オンラインになって難しいと感じるのが、授業そのものである。
漢字や計算といった単純なもの、個人課題として実施できるものは、比較的テキスト課題として出しやすい。
終わったものをアップして提出することもできる。
一方で、音楽や体育、道徳のような、ふれあいや交流、話合いを中心とするような学習は、難しい現状である。
国語や算数等にしても、「主体的・対話的で深い学び」の中心部分にある対話は、事実上かなり厳しい状況である。
やってみるとわかるが、オンラインでの対面というのは、実際に35人が一同に会している状況とは大きく違う。
極端な話、全員に一律に端末が配付されていて、Wifi環境も全家庭完璧に整って、確実に全員実施できるなら、何とかできるかもしれない。
実情は、各家庭によって端末使用可能状況もネット状況も全く異なり、全員が揃って顔を見て交流学習というのは、現実的にかなり難しい。
学校教育、特に公立学校は「公平」が求められる。
9割の子どもが享受していても、1割の子どもが捨て置かれていては、不成立という世界である。
全員に平等な機会が与えられることが大前提である。
そうなると、現状は無理だらけである。
ネットでの完全なオンライン授業となると、時間帯やネット環境等の理由で、欠員が出る。
自分のところが解決策として現在とっているのは、オンライン授業をしながら録画し、それを後で見られるようにするという方法である。
その場にいた方が学べるが、後で見ても学びにはなる。
実際の学校で単に欠席した時より、大分いいはずである。
つまり、この方法は、通常通りに学校が始まってからも、欠席への補教の手段の一つとして使えるはずである。
ネット配信ができる自分の勤務校の現状は、かなり有利である。
多くの公立校では、手も足も出ない、という苦境に立たされているはずである。
子ども同士がネット上とはいえ互いに顔を見て「朝の会」ができることは、幸せな環境かもしれない。
そもそも、今これができているのも、デバイスやインターネット環境含め、様々な民間企業のお陰様である。
そして、それを利用できる環境を整えるだけの予算を、校内の担当者がこれまで苦心して獲得できていたことも大きな要因である。
現在、私の教えている学年でもリアルタイムのオンライン授業への挑戦をしている。
ただ、リアルタイムのオンライン授業は、敬遠されるとのことである。
何かとトラブルが多いのである。
しかし、困難だからこそやる、という面で意味もある。
千葉大附属小だけでなく、全国の学校で挑戦されているオンライン授業にぜひ注目していただきたいところである。
2020年5月17日日曜日
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