2019年10月6日日曜日

近すぎて見えないなら、離れるべし

最近実感していること。
離れてみることの有用性について。

学年内で、学級担任を部分的に交換している。
授業ではなく、朝の会と帰りの会である。
学年職員として、それぞれがたくさんの子どもと関わるために行ったのだが、意外な効用を感じ始めた。

他の学級に入ると、その学級の様子が見える。
良さがたくさん見える。
4月に初めて担任した時のような感覚である。
「いいところ見つけ」サーチが自然とはたらく。

これが、自学級にも適用される。
学級の外から見て客観的になるため、本来の良さが見える。

更に、職員同士で子どものいいところの話になるため、それが加速される。
(子どもに対して批判的な人が入ると、もしかしたらうまくいかないかもしれないが。)

以前、このメルマガ上でも、離れて子育てすることの有用性について紹介したことがある。
(参考:ブログ『教師の寺子屋』2018.8.17記事 大原幽学の「子ども交換保育」作戦に学ぶ)
https://hide-m-hyde.blogspot.com/2018/08/blog-post_17.html

思い返すと、この「離れて見ると良さが見える」ということは、あらゆる人間関係にも適用できる。

近すぎて、相手の「部分」しか見えなくなっているのである。
離れてみないと、その全体像も、有難みもわからないものである。

学級の子どもに対して、あるいは、我が子に対して厳しすぎると感じていないか。
だとしたら、何らかの手を打って、少し離れて見る機会をとることをおすすめする。

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