今回、次の教育雑誌で一つ書かせていただいた。
『国語教育 2019年10月号
準備から当日までスッキリわかる!研究授業完ペキガイド』
https://www.meijitosho.co.jp/detail/02838
私が書かせていただいたのは、「授業者の心得」である。
キーワードとして「虚飾を取り去れ」という野口芳宏先生の言葉を引用させていただいた。
虚飾は、見抜かれる。
子どもは、この点においてかなりの洞察力を備えている。
「この人は自分にとってどんな大人かな」というのを見抜く力は、もう赤ん坊の頃からある。
どんなに飾っても見抜く。
もう本能的にもっていると考えるとよい。
つまり、虚飾のある授業は、ダメである。
真心、真剣さ、誠実さが命である。
これは、現職の教員でも教育実習生でも同じである。
素直な人は、伸びる。
これは間違いない。
反骨精神があっても、素直な人というのはいる。
従順なようで、素直でない人というのもいる。
素直な人は、なぜ伸びるのか。
自分の間違いを認め、正すからである。
そこに虚飾がないからである。
子どもが「わからない」という。
「何でわからないんだ」「わからないのが悪い」というのは、普通の人である。
「自分の教え方が悪い」といってやり方を変えるのが、伸びる教師である。
ちなみに、一方で子どもの方には、単純にそのように教えてはならない。
他人のせいにはさせず、自分でできる努力を促す。
あくまで、教える側の心構えの話である。
授業は、「させていただく」つもりで行う。
だから、最初と最後に礼をする。
一緒に一つの時間と空間を共有した、子どもたちへの礼儀である。
授業等で、人に見られるのが緊張する、という人にアドバイスがある。
「どうせ下手なんだから、教えてもらおう」と思うことである。
かっこつけて上手く見せようとすると、大抵うまくいかないものである。
虚飾を取り去れ。
古来より言われる、真実を求める際の箴言である。
2019年10月22日火曜日
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