クラス会議を通しての学び。
クラス会議において、最も難しいのは、教師の介入の度合いである。
一般的に理想とされるのは、教師はほとんど全く入らないで子どもたちだけで成立する状態である。
しかしながら、それだと学ぶべきことを学ばずに終わる可能性が高い。
まして、導入初期段階から完全に手放してしまったら、ルールもないままに進み、対話に至らない。
クラスの人間関係が壊れ、状況が悪化するかもしれない。
(クラス会議初期段階の指導については、先日紹介した「教育技術 小一小二」5月号に詳しく書いた。)
教師の性格(性質)にもよると思うが、この介入の仕方はかなり自覚的な意識が必要である。
色々なことによく気付き、細かく手出し口出ししがちなタイプの人は、黙って見ている方に注力する。
(説教好き、しゃべり好き、牽引型リーダーシップの人もこちらである。)
何事も口出しせずに、人に任せる、あるいは従順なタイプの人は、自分の意見も少し入れていくことを意識する。
そうしないと、方向性のない話合いに終始しがちだからである。
介入の度合いが違うにせよ、基本の心構えは、子どもに任せるということになる。
この「子どもに任せる」が「子ども任せ」の放置になってはいけない。
あくまで、成長レベルに応じて任せていく、というのが大切である。
これは、普段の授業でも、あるいは子育てでも同じである。
どういうことか。
乳幼児の発達に例えて説明する。
例えば、赤ちゃんはトイレに自分で行けないから、おむつをするし、それを周りの人が替えてあげる。
これを放置する母親もいるようだが、それは完全に虐待である。
また、幼い上の子に下の子の一切の世話を任せて自分は遊びに行く、というようなことも、両方の子どもへの虐待である。
(参考漫画:『ちいさいひと 青葉児童相談所物語』)
一方で、いつまでも子どものトイレについてあげる必要はない。
発達段階に応じて、自立させていく。
トイレトレーニングは、子どもの性格に応じてあの手この手を尽くすものであり、万人に向く完全無欠のハウツーはない。
親が我が子のおねしょやおもらしを気にしすぎて、心配が過ぎると、逆にうまくいかなくなるということも周知の事実である。
つまり、やってあげた方がいい段階と、失敗の可能性も含めて任せていい段階がある。
これを履き違えると、とんでもないことになる。
よかれと思ってやっていることも、段階によっては成長を阻害する行為になる。
自分と自分の学級はどの段階か。
子育て視点だと、自分と我が子はどの段階か。
ここを見極めた介入レベルの調整が成功の要点である。
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