2019年6月6日木曜日

「学びに向かう力、人間性等」は教えられるか

文科省より示された「育成すべき資質・能力の三つの柱」は次のものである。

1「知識及び技能」
2「思考力、判断力、表現力等」
3「学びに向かう力、人間性等」

これが昨年度の最終号、1585号のメルマガで紹介した「道徳の3階層」の構造に似ていると考えた。
つまり

1「知識及び技能」=法律
2「思考力、判断力、表現力等」=躾、礼
3「学びに向かう力、人間性等」=求道

とみなす。
そうすると、身に付けさせたい資質・能力の構造を読み解くヒントになりあそうである。
以下、1585号をもとに、3つを読み替えて文章を書いてみる。

知識及び技能すらないという状態は、基本的な学力が充足されていない状態である。
逆にこれらを身につけられる人とは、幼少時に親や目上の人からよく与えられ、受け取れた者だけである。
家庭環境に関わる、貧しさ等の理由で機会にすら恵まれなかった子どもには、ここが身に付けられない。
また、技能についても、それを持っている人が身近にいないと、知る由もない。

よって、知識及び技能の身についていない子どもに対しては、「学びに向かう力、人間性」で説いても無駄である。
自力で解決できないからこそ、周りや模範解答を見て何とか解決しようとするのである。
あるいは、知識不足の子どもが学びを投げ出すのも、やる気の問題ではない。
根本は基礎的な知識、技能の不足であり、量的な不足でもある。
ここを理解して、与えるしかない。
そして、教えてすぐ何とかなるなんて思わないことである。

「思考力、判断力、表現力等」とは、社会性そのものである。
ここは、まずその基準を示し、与えること。
こちらも「もっとがんばって」は無駄。
こうやるとうまくいくという範をまずは示し、身に付けさせるべきものである。

ある分野における独自の表現方法なぞは、「教える」以外に知る由もない。
説教ではなく、しっかりと教える。
反復させ、型にする。

「思考力、判断力、表現力等」を身に付けられていない部分は、本人の「悩み」として表出する。
「知識はたくさんあるのにうまく表現できない」ということになる。
そう考えると、この方法をきちんと教えることは、必須である。

最上級の「学びに向かう力、人間性等」とは、高みを目指して生きる「道」のこと。
これこそが本物の学力である。
「道」とは正解がなく、常に続くものを指す。
書道でも武道でも、文学でも科学でも工学でも芸術でも同じである。

これらは、自分で究めていくもので、正解もゴールもない世界である。
よって、「型」を越えた時点から教えることが不可能な領域である。
また、口にして教えた時点で、もうそれが入らなくなるというので、要注意である。

では、学力の最上級である「学びに向かう力、人間性等」を、どうやって教えるのか。
これは、背中で示すしかない。
むしろ、本人が勝手に選んで、勝手に真似されるものである。
よって、教えること自体が不可能と考えてよい。
自分を鍛える「修養」以外に道はないということである。

こう考えると「学びに向かう力、人間性等」を教える、ということへの違和感が溶ける。
なるほど、道理で教えらないはずである。
この考えに則れば、教えるという方法で担保できるのは、
1「知識及び技能」
2「思考力、判断力、表現力等」
までである。

三つの柱の中で最も重要視されている
3「学びに向かう力、人間性等」
については、大人が背中で示すしかない。
要は、大人の自分自身の学び方や、人間性が子どもの「教育」そのものになるということである。

新しい時代を生きる子どもを育てるために、何をすべきか。
注力すべきは、教える相手の子ども以前に、我々大人の方である。

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