教室でよくある風景。
「もうしないと約束できますか。」
もしこれを使う時は、かなり気を付けないといけない。
なぜなら、これは「約束」という言葉を使っているからである。
約束とは、双方の取り決め、規定のことである。
つまり、破った場合、何らかの不利益、罰則等が生じることが前提である。
そして学校の人間関係における約束に、罰則はつけられない。
約束破りは、信頼関係が傷つくだけである。
つまり、子どもと「もうしない」約束をすると、確実にこちらが不利益を被る前提になる。
なぜか。
約束を守るか否かの決定権が、すべて子どもの側にあるからである。
そして、破った場合、確実に信頼関係を損ねる。
信頼関係を築くのは、教師の仕事の一つである。
つまり、その手の約束をすると、こちらの不利益しかあり得ない。
約束したからといって、何のメリットもない。
そしてこれが、子どもの側にもいえるのである。
双方にとっての「不平等条約」のようなものである。
子どもがやることは、衝動的である。
情に訴えても、無駄である。
どんなに信じていても、やるときはやる。
だから、下手な約束はさせない方がいい。
子どもの側にも、マイナスになる罪悪感を生むだけである。
約束しても大人の側に「ま、またやるだろうけどね。」ぐらいの余裕が必要である。
子どもの側も「またやってしまうかもしれないけど、ごめんなさいね。」ぐらいの余裕が必要である。
それなら、安易な「約束」はしない。
約束をしたら、破られる可能性を含んでおく。
大人の人間関係にも当てはまる原則である。
2019年6月10日月曜日
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