4月に、授業参観でクラス会議を公開した。
よくよく考えると、学級会の様子を授業参観で見せるというのは、意外にも初めてである。
(多分、皆さんの周りにもあまりいないのではないかと思う。)
なぜかというと、普通4月の授業参観というのは、担任の授業の様子を見に来る機会だからである。
しかも、子ども同士の信頼関係ができていて、学級会が成立する状態になってないと公開しづらい。
私の場合、持ち上がりなので、保護者は私の授業を何度も見ているし、子ども同士も互いをよく知っている。
持ち上がりならではできたことである。
議題の選定も授業の直前に出てきたものを扱った。
当たるも八卦当たらぬも八卦という感じだが、クラスの子どもたちが選んだものなら間違いない。
そういう信頼ができるのも、やはり持ち上がりならではである。
いつも通り、前回までの振り返りをし、次に議題を選定した。
振り返りは、2日に1回の自由席替えはどうだったか、という点である。
「色んな人と話す機会ができていい」
という意見がある一方
「すぐ変わるから落ち着かない」
という意見とで、半々である。
次週から、週1回のお試しに変更される。
議題は、遊具の使い方についてだった。
人気の遊具を順番待ちをしている時に、なかなか替わってくれないことがあるというもの。
「ルールは1回ずつ」というはずなのに、というものだった。
さて、これがなかなか面白かった。
わかって黙って聞いていたのだが、そんなルールは、実はない。
自分たちの中で何となく作っていたのである。
それが、人によって2回だったり3回だったりする。
それを「学校ルール」と信じ込んでいたようである。
議論していく中で、「あれ?5回まででしょ?」というような話になって、初めて変だと思ったようである。
ここは教師の出番なので「あの遊具について学校で定めた使い方のルール等は、特にないです」と伝えた。
ここから、本質的な話合いになった。
そもそも、ルールだからこうする、というような問題ではない。
みんなが気持ちよく楽しく遊べる、という一点である。
結局「注意・声かけ」「看板づくり」等々のアイデアを、
「とりあえず全部試して一週間様子をみる」
ということで落ち着いた。
こういうプロセスを踏むと、ルールやマナーに対する見方が変わる。
すべては、集団の全員が気持ちよく過ごすためのものであるとわかる。
学校生活への基本姿勢が、従属から主体にシフトする。
主体的・対話的で深い学び。
これを目指すなら、教師はなるべく引っ込む授業の仕方、生活の仕方を基本に考える必要が出る。
あらゆる場面で、可能な限り「コーディネーターに」回ることである。
それは、傍観するのではなく、必要な時に適切な支援を入れる仕事である。
教室における教師の在り方をどうするか、というのは、これからもっと考えていきたいテーマである。
2019年6月18日火曜日
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