木更津の野口塾で、道徳の実践について少しだけ話した。
メルマガでも紹介した、金の斧、銀の斧の実践についてである。
ところで、道徳教育の究極目的は何か。
「幸せに生きる」に尽きる。
幸せとは南の島でのんびり暮らすこととは限らない。
汗水垂らして働く幸せもある。
とにかく、子どもに幸せに生きる人に育ってほしいという願いに、反論は出ないはずである。
ここに大きく関わるのが、他者の存在である。
感謝の人か、不平不満の人か。
ここが幸福感の分かれ目である。
感謝の人は、何に対しても感謝する。
自然を含めた、自分を支えてくださっているお陰様の存在を忘れない。
不平不満の人は、何に対しても不平不満をもつ。
何かしてもらっても「配慮が足りない」が口癖である。
お天道様にすら暑い寒いと不平を言う。
自分が常に王様、女王様、王子様、お姫様気分なのである。
例えば混雑している場で「押さないでよ!」という。
自分がその空間を占めているせいで、他の人も狭い思いをしていることに気付けない。
誰かに何かしてもらっても「前はもっとサービスがよかった」と比較して悪い点をあげつらう。
似た例で「結婚前は・・・」という愚痴も、自分に真実が見えてなかっただけで、相手は別に何も変わっていない。
そこに関してのみいえば、見抜けなかった本人が悪いのである。
自分が変わろうとしない限り、何も変わらない。
つまりは、幸福感とは、主体的に生きることである。
自分勝手にふるまうことではない。
主体的とは、自分で選択して生きるということである。
感謝を選択するか、無意識の自動的に不平不満に流れるか、という差である。
道徳教育は、根本的に考え直さないと、ダメな考えの再生産になりかねないので、注意が必要である。
2018年12月1日土曜日
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