「ものの扱いは人の扱い」と子どもに教えてきた。
例えば、ものを乱雑に扱うということは、他人との接し方も雑になりやすいということ。
また「もののしたことは自分の責任」ということも教えてきた。
自分が床に放っておいたもののせいで誰かがケガをしたら、それは自分にも責任があるということ。
もちろん、本人の不注意という、ケガをした本人の責任もある。
しかし、そのケガの原因を作ってしまったことは間違いない事実である。
(だから、とびなわはきちんと縛っておくように、という話につながる。)
最近、この考えが変わった、というか、進化してきた。
「ものの扱いは自分の扱い」と思うようになったのである。
どういうことかというと、どういう風にものと付き合うかが、自分との付き合い方になるという考え方である。
例えば、服を乱雑に扱うとする。
服が汚れる、あるいは皺が付く。
それを着るのは、自分である。
つまり、自分を汚して、自分に皺を付けている訳である。
例えば、食べ物に文句をつけながら食べるとする。
あるいは、明らかに変な材料で作られた有害なものを食べるとする。
それを摂取して体内で消化するのは、私である。
そういう「いわくつき」の食べ物と自分が一体化する訳である。
気持ち悪くてしょうがない。
先の話でいうと、自分の放っておいたもののせいで、他人がケガをした時。
結局、他人を傷つけることで、他人と自分自身から、自分への評価を落とすことにもなる。
つまり、他人だけでなく、自分をも大事にしていないことになる。
だから、自分の身の回りのものというのは、丁寧に扱う必要がある。
そして、よくよく選ぶ必要がある。
周りの人がいいと言っていることでも、自分が良くない、好きでないものなら、捨てる方がいい。
好みは、十人十色なのである。
当たり前だが、ゴミと一緒に暮らしてはいけない。
本当は好きでないものを我慢して置いておくこともいけない。
そう考えるようになったのである。
つまり、「整頓」よりも「整理」が先である。
「捨てる」ということである。
『「捨てる」仕事術』https://www.meijitosho.co.jp/d
「捨てる」というのは、正しい行動であると確信している。
法則として、真空状態になれば、何かが入り込む。
「捨即得」である。
捨てることで得られるものが確実にある。
「0を得る」ともいえる。
身の回りを少しずつ整理していこうと思う次第である。
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