木更津技法研での学び。
次は、師の野口芳宏先生の言葉。
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上の立場で
「知識が重要ではない」
と言ってる人たちは、みんな知識が多い。
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全くその通りである。
「知識が重要でない」という言葉に重みがあるように感じられること自体、相手に知識があるからこそである。
つまりは、狂言であるといえる。
何か、そう言った方が「リベラル」な感じで、かっこいいのである。
しかし、真実とは言い難い。
そもそも、格言のようなものにも、立場のある人だからこそ、というものは多い。
諺にだって、真逆のものがかなりある。
例えば「二度あることは三度ある」と「三度目の正直」は、意味するところが真逆である。
正直、言ったもん勝ちというところもある。
つまり「偉い」人の言葉をそのまま額面通りに受け取ると、間違えることがある。
知識があるからこそうまくいくことは多い。
知識があるからこそ考えられることも多い。
「下手な知識がない方がいい」という状況もあるにはあるが、特殊状況である。
まずは、知識を蓄えることを考える。
そのためには、体験。
体験すると、知識が増える。
知識が増えると、本を読んでもわかることが増える。
そうすると、また体験をしたくなる。
また学んで知識を増やす。
この繰り返しである。
もう一度言うが、知識は、体験からである。
単純に教えることが先ではない。
内側から滲み出るものである。
体験と外部からの知識が結びついて、始めて本当に「わかる」状態になる。
ハバネロを食べたことのない人に、その辛さを伝えるのは困難である。
唐辛子の辛さを表す単位の一つである「スコヴィル値」が、ハバネロは何と30万だという知識を与える。
ほぼ間違いなく、全然ピンとこない。
とりあえず食べさせた方が理解が早い。
その後で数値どうこうの知識面も教えればよい。
だから、「知識の詰め込み」が無駄だと言われるのである。
こういう「死んでいる知識」は、確かに重要でない。
ここを混同しないこと。
知識は重要である。
多ければ多いほど考える材料が豊富になる。
教える立場にあるものであれば、知識は一生追い続けたい。
2018年12月11日火曜日
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