木更津技法研での野口芳宏先生からの学び。
野口先生から、次の言葉があった。
教育は「発達」の上にのせるものである。
以下は私の解釈。
つまり、まだ準備のできていない者には、
その能力をつけさせることはできない、ということである。
例えば、体育でいうと、持久力というものは、伸びはじめる時期がある。
中学生から高校生である。
それ以前にやりすぎると、弊害がある。
発達は、自然の摂理に従って、きちんと順番が決まっているのである。
植物に例えるならば、
芽が出て、茎が伸びて、枝が伸びて、葉が増えて、蕾ができて、花が咲いて、実るということ。
ここに「不自然」にも、茎が伸び始めた時期に、いきなり花を咲かせようとする。
無理に決まっている。
手を加えるほど、だめになる。
発達的に、時期ではないからである。
何らかの手をうって無理矢理咲かせたとしたら、当然すぐ枯れる。
幼児期に無理なことを叩き込むのもそう。
その発達段階に適した教育というのが存在する。
発達は、生命という自然の贈り物の一部であり、偉大なのである。
人間の浅知恵でどうこうできるものではない。
だから、再三述べているように、○年生だからここまで、という考え方は、根本的におかしい。
個人で全然違うに決まっている。
平均なんてあてにならない。
ゆっくり育つのもあれば、ものすごく早いものもある。
当たり前のことである。
教育でできることと、できないことを見極める。
自然に沿って、逆らわない。
自然のままにしておかないという教育的行為と、
自然に逆らうという愚行を混同しない。
師がいてこその学びである。
恵まれた環境で学べることに感謝したい。
2018年12月22日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
-
教材研究という言葉が一般的である。 教えるために、教師として教材を読むのが教材研究である。 (まるで私がわかった風な口をきいているが、完全に野口芳宏先生の受け売りである。 以下同様。) 教材研究の前にすべきは、素材研究。 教えるためでなく、一読者として作品について調べ、読み込む...
-
前号の続き。 教師にとっては、結構知っておくべき「大切」な事ではないかと思う。 (そして、教師以外の人々には本当にどーでもいい話題であるかもしれない。) 例の如く野口芳宏先生よりずばり。 「課題」は出されたもの。 「問題」は感じたもの。 つまり、教師から与えたものが「学習課題」。...
0 件のコメント:
コメントを投稿