2018年11月24日土曜日

「立派でない」を考える

子どもの前に「先生」として立つ。
その道の先を生きてるのだから、立派でありたいと願う。

さて、どういう人が立派で、ついていきたい先生なのか。

「先生面」あるいは「教師面」という言葉がある。
面を「つら(づら)」と読む時は、侮蔑の意味が込められる。
これは、立派とはいえない状態である。
つまり、そういう姿を想定し、その逆をいけばよい。

要は、自分を振り返って、ダメだった時のことを考えればよい。

例1 自信過剰
自分が教えたのに「できない」という状態が、プライドとして許せない。
全ての子どもが同じようにできることを求める。
骨折している人に走ることを求めているのに気付いていない状態。

例2 虚勢
相手より上でないと気が済まないため、謝れない。
的確な指摘であればあるほど腹が立つ。
アスペルガーの子どもなど、遠慮なくこちらの間違いを的確に指摘してくる子どもにキレてしまう。
(指摘が図星で痛すぎるため。)

例3 不勉強
知っているつもりで偉そうに教えている状態。
理解が浅いのに、わかっていると勘違いしている。
小学生の学習内容など簡単に教えられると思っている状態。

例4 無教養
言葉遣いや振舞い、姿が雑な状態。
子どもに対して、モノのように扱う。
あるいは、いい加減な格好でいい加減な立ち振舞いを見せる。
子どもへのリスペクトが足りない状態。
子ども相手だからと、気が抜けている状態。

(ここに関して、余談。
ヨーロッパの大航海時代の、ある奴隷の男の話。
連れられた先の館で、主の奥方が、奴隷の目の前で平気で全裸になったことにショックを受けたという。
犬猫同様の扱い、人間として見ていない証拠である。
格好や言葉遣いとは、相手への敬意を示す。)

例5 他責
できない、わからないのは子どものせい、というメンタリティ。
その場のリーダー、責任者としての自覚がない。

書いてて凹んでくるのでこの辺にしておく。
まあ、ひどいものである。
自覚があれば、多少ましにはしていける。

要は、謙虚に勉強して、子どもからも学ぶ姿勢をもつこと。
いつでも、初心が大切である。

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